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【暮らし】

<家族のこと話そう>いつも味方だった父 中国語圏で活躍 お笑い芸人・ねんど大介さん

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 お笑い芸人として主に中国語圏で活動しています。日本各地の魅力を、中国や台湾の人たちに紹介する番組の案内役なども務めています。

 実家は長崎県大村市で中華料理店をやっていました。父親を含めた三兄弟での経営です。百人くらいは余裕で宴会ができる大きな店で、母たちも手伝っていました。

 母によると、幼いころの僕は、周りの人を笑わせるのが好きだったそうです。姉がファンだった近藤真彦さんのものまねをしたり。店の社員旅行でも、僕はガイドみたいなことをしていたそうです。

 両親とも忙しかったので、夕食をいっしょに食べた記憶はあまりありません。仕事が一段落したころに店に電話を入れ、用もないのに「今日のおやつは何?」と聞くのが日課でした。ただ母の声が聞きたかっただけなのですが。

 父は自分の気持ちに正直な人。兄弟と時にはけんかすることもありましたが、みんな一生懸命がんばりました。いろいろあって、店は開業から十三年で閉店。家を売り、借家住まいが中学生のころから始まりました。その後、父はタクシー運転手をしたり建設関係の仕事をしたり。手先は器用なのに、不器用な人だなと思います。

 でも、悔しい時に寄り添ってくれたのはよく覚えています。小学生の時にやっていたソフトボールの引退試合で、卒業生皆に打席を回すはずだったのに、僕には回ってこなかった。号泣している僕を見た父は、一言「帰ろう」。せっかく見に来たのに、父も悔しかったのだと思う。何も言わないけど、気持ちは背中で伝わった気がします。祖母が僕のいとこにだけ「仮面ライダーセット」を買ってあげて、僕が寂しい気持ちになった時も、父は「なぜ大介にはないのか」と怒りだした。

 僕がやりたいことに口出しすることも一切ありませんでした。中国へ語学留学する時も「決めたなら行け」。中国雑技をやりたいので日本でサーカスに入りたいと言った時も「そうか」。ワハハ本舗に入る時も「そうなんだ」と。

 去年から拠点を日本に移したのも、共に七十歳を超えた両親に何かあったら、すぐ駆けつけられるようにしたかったからです。今まで台湾や中国のテレビにばかり出て、息子の仕事ぶりを見せてあげられなかったという思いもあります。

 地元への気持ちも強くなりました。今は大村市の「観光隊士(大使)」もやらせてもらっています。ライフワークとして日中・日台の橋渡しに取り組んできた自負はありますが、これからは地元を盛り上げていくことにも力を入れたいですね。

 聞き手・三浦耕喜/写真・石井裕之

<ねんど・だいすけ> 1973年福岡県生まれ、長崎県育ち。中国雑技団にあこがれ、19歳で留学。大道芸が目にとまり、99年にワハハ本舗に所属。2006年より上海で活動を始める。中国語に堪能な日本のお笑い芸人として、人気コメディードラマなど、中国語圏の番組、イベント多数に出演している。

 

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