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【暮らし】

母になりたかったけど… 私の幸せのカタチ

 子どもは大切と分かっていても、待機児童や少子化問題が遠く感じてしまう人たちがいる。「母になりたい」という願いがかなわず、子どもを授からなかった女性たちだ。流産や、結実しなかった不妊治療の体験を糧に、前を向く2人の女性に思いを聞いた。 (木原育子)

タヒチアンダンスを生き生きと踊る布井あやみさん

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 ダンス教室主宰、布井(ぬのい)あやみさん(34)=東京都町田市=は少子化は弊害という報道に接するたび、押しつぶされそうになった。「『産まないあなたが原因』と言われているようで」

 二十七歳で結婚。なかなか子宝に恵まれず、三十歳になると正社員を辞めて不妊治療を始めた。次々と出産する友人たち。焦りから不妊治療にのめり込んでいった。

 気づくと、高額な体外受精を含め二年間で数百万円を投じていた。「何が何でも子どもが欲しいというスパイラル(悪循環)から抜け出せなくなった」

 夫への申し訳ない気持ちと、母になれない虚無感もあった。「消えたいと思った。どんなに頑張っても、お金をかけても、届かない願いはあるんだって」

 気持ちを支えてくれたのはタヒチアンダンス。踊ることで心を解放した。昨年には教室を開き、講師も務める。まだ三十四歳だが、しばらく不妊治療と距離を置くという。「子どもをつくるためだけの人生になっていた。女性の幸せって、いろいろあっていい」

不妊カウンセラーとして相談に応じる永森咲希さん

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 七人に一人。妊娠した女性に占める流産を経験した女性の数だ。不妊に悩む人たちの相談に乗る不妊カウンセラー、永森咲希さん(52)=杉並区=もその一人。

 「どうしても母になりたい。家族を増やしたい」と三十七歳で不妊治療を始めた。四十二歳で命を授かったが、続かなかった。心拍が消えたわが子の超音波写真を見た時、涙が止まらなかった。「言葉では表せない喪失感だった」

 三年前、心に整理を付ける意味で、母を目指した日々をつづった「三色のキャラメル〜不妊と向き合ったからこそわかったこと」(文芸社)を出版。同時期に同じ苦しみを抱えた人の声に耳を傾けたいと、一般社団法人「MoLive(モリーヴ)」(団体名で検索)も立ち上げた。

 昨年は「保育園落ちた日本死ね」と書いた母親のブログが話題となった。永森さんは「『困っていることは分かるが、その苦しみや怒りの全ては理解できない。そこがつらい』という相談もあった」と明かす。

 治療をやめて約十年。永森さんは「母になる希望は失ったけれど、命のかけがえのなさは十分知った。ネガティブ(否定的)な事としないで、大切に抱えて生きていきたい」と話す。

 ◇ 

 子どもを授からなかった人たちの相談先には、▽不妊体験者支援のNPO法人「Fine(ファイン)」▽子どもを亡くした人を支援する「お空の天使パパ&ママの会(WAIS)」▽「流産・死産経験者で作るポコズママの会」▽赤ちゃんの遺族が運営する自助グループ「SIDS家族の会」などがある。いずれも団体名で検索を。

 

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