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【暮らし】

<家族のこと話そう>母が築いた「ご近所」 介護離職なくす団体代表・和気美枝さん

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 介護離職のない社会を目指して活動しながら、自宅でアルツハイマー型認知症の母(77)と一緒に生活しています。

 母は父を立てる「昭和の主婦」でした。父は私が二十五歳の時に他界。すでに姉は結婚して家を出ていて、母の思いは私に向けられました。座ればお茶が出る。仕事で遅く帰っても、起きて待っている。金銭管理も母。「私のための主婦」でした。私がパラサイト(基礎的な生活条件を親に頼った未婚者)になるわけです。

 その母が突然精神を患いました。みるみる悪化し、私が三十三歳の時に入院。私は家のことは全然知らず、生命保険の手続きどころか、自分が医者にかかる時、保険証の置き場所も分からなかった。

 不安を訴えるばかりの母を前に、何が起きているのか全く理解できませんでした。「面倒くさい」「恥ずかしい」との思いがこみ上げてきました。「ああ、私はもう結婚できないんだな」とも思った。親族からは「なぜこんなことに?」と責められる。

 母は私に尽くすことで、私は家事を母に任せることで互いに依存する関係をつくっていた。「このままでは二人ともだめになる」。近くに部屋を借り、私は母から逃げました。追いかけてくる罪悪感を打ち払おうと毎日母に電話する。母の調子が悪そうだと家に行く。そんな暮らしを続けました。

 その間も母は入退院の繰り返し。何一つ思うようにならない。もういい。いったんリセットしよう。三十八歳で仕事を辞めました。金が続かなくなり家に帰る。家に帰れば母がいる。母は認知症状が出始めており、介護認定を受けていました。どん底でした。

 そんな私を普通に受け止めたのは近所の人たちでした。「実家に戻って来た」と言うと、お向かいさんは「ま、そんなこともあるわよ」。人の温かさが染みてきました。

 昔は「昨日の赤い車の人だれ?」と聞かれると、「二度と彼氏に送ってもらうものか」とか怒ってた。でも、母を本当に見てきてくれたんだと気付いた。

 さらに気付いたんです。そんなコミュニティーをつくったのは母なんだと。すごい人なんだと。民生委員を二十年やっていました。道端に倒れている老人を私が見つけ、母に来てもらったら「○○さんのおじいちゃんね」と送り届けたことも。地元郵便局にも長年勤務。買い物に歩けば次々に「こんにちは」です。母がつくったこの基礎がなければ、介護はもっと孤独でつらいものだったでしょう。

 ご近所のおじちゃん、おばちゃんたちも母と同じ高齢者。ひそかに心に誓っています。何かあれば、私がまとめて面倒見る!と。

 聞き手・三浦耕喜/写真・戸上航一

<わき・みえ> 1971年埼玉県生まれ。マンション開発会社で働いていたが、母親の介護で離職。手探りで介護を始めた体験から2014年に「ワーク&ケアバランス研究所」を、16年に「一般社団法人介護離職防止対策促進機構(KABS)」を設立、同代表理事。経団連共催でセミナーを開くなど、働きながら介護できる社会づくりに取り組む。

 

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