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【暮らし】

<家族のこと話そう>夫、娘が闘病の支えに 女優・生稲晃子さん

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 二〇一一年一月に受けた人間ドックで、右胸に乳がんが見つかりました。一センチに満たない小さな腫瘍で、早期発見できたのは不幸中の幸い。告知後、迷った末に当時五歳の娘に「ママのおっぱいの中に悪い物があって、取らないといけないの」と伝えました。娘は「ママが入院するのはいやだ、死んじゃうのはいやだ」と泣きながら、病気について理解したようでした。

 腫瘍を取り除く部分切除の乳房温存術を受けて治ったと思ったのに、待っていたのは再発、再々発。一三年には全摘手術を受けることになりました。闘病中は前向きでいようと心掛けていましたが、その時は「もうダメかもしれない」と死を意識しました。

 手術の数日前、「右胸を全摘したら、もう行けなくなるかも」と思い、娘と銭湯に行きました。広いお風呂に入って、無邪気に喜ぶ娘の横顔を見たら泣けてきました。「十歳に満たないこの子を置いて死ぬわけにはいかない。成人するまで生きなければ」と。涙は湯けむりのおかげで、娘に悟られずに済みました。

 右胸の再建手術を受けて区切りが付いた一五年、計五度の手術を受けた闘病について初めて雑誌のインタビューで打ち明けました。たくさんの方から励ましのメッセージをいただいてうれしかった。約五年の闘病生活中は、病気のことを伝えていたのは、家族と事務所の社長などごく一部の人にだけ。周囲には隠し続けました。がんだと分かって、仕事がなくなるのが不安だったのです。手術直後のテレビの健康番組の収録では、腕を上げるのも痛かった。でも「四十肩で」と笑ってごまかしていました。海外ロケもこなしました。

 闘病中は、仕事を通じて「自分は必要とされている」「待っていてくれる人がいる」と感じられたことが力になりました。こうした経験から、昨年には政府の「働き方改革実現会議」の民間議員に選んでいただきました。病気の治療と、仕事の両立支援策などを提案しています。

 がん患者の家族は「第二の患者」とも言われます。闘病中は、私より夫や娘の方がどう接したらいいのか分からず、つらかったのではないでしょうか。仕事中はテンションがあがっていても、家に帰ると疲れがどっと出て、笑えずに落ち込んだ日々も。そんな時、家事が得意な夫は黙って料理を作ってくれました。

 家ではがんについて、ほとんど話しませんでした。普通の生活を家族で保ちながら過ごせたからこそ、あの時立っていられた。今も穏やかに生きていられるのは、夫と娘がいつもそばで笑っていてくれるからです。

  聞き手・細川暁子/写真・由木直子

<いくいな・あきこ> 1968年、東京都生まれ。おニャン子クラブのメンバーとしてデビューし、テレビや舞台で活躍。認知行動療法を学び心理カウンセラーの資格も持つ。著書に「右胸にありがとう そして さようなら」(光文社)。

 

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