東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 暮らし > 暮らし一覧 > 7月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【暮らし】

<家族のこと話そう>両親と適度な距離 陸上女子七種競技9連覇・中田有紀さん

写真

 小さいころから体を動かすのが好きで、リレーの選手に選ばれたり、走るのは得意でした。競技として陸上を始めたのは中学の部活からです。

 最初は体操に興味があって、入学直後の体験期間は体操部ばかり見に行っていました。陸上部を見に行ったのは最終日だけ。どっちに入ろうか母に相談したら、「得意な方に入ったら」と言われて陸上部に決めたんです。

 先生が混成競技に熱心で、走り高跳び、百メートル、砲丸投げの三種競技を始めました。ただ、親が応援に来るのは嫌でした。親も気持ちを察したのか、来たのは三年の近畿大会だけ。そのときも私に内緒でしたが、会場でたまたますれ違って分かりました。

 高校、大学でも両親は競技に口を出さず、私も自分のことで頭がいっぱい。二十四歳のときに左足首の手術で入院したときも、両親には「大丈夫だから」とひと言、電話しただけ。両親も「頑張れ」と言ったりすると私のプレッシャーになると思ったのかな。今思えば、どれだけ気を使わせてきたことか。

 だから、私が知る限り、両親が競技をまともに観戦したのはアテネ五輪が初めて。五輪出場が決まった時も喜んでくれましたが、現地で私が走る姿を見て母は泣いていました。それに気付いたのは五輪の競技中。観客席を見たら、母の顔が泣いた後だった。そのとき、「親はどんな思いで支えてくれていたんだろう」と思ったんです。

 母は高校のころは弁当と朝練後の軽食を毎日用意してくれ、大学卒業後も両親は大会などの遠征費を助けてくれた。就職せずに高校の非常勤講師やバス掃除のバイトをしていたので、本当は心配だったんだろうなと思いました。毎年、母に日本選手権を見に来てもらうようになったのはそれからです。

 小さいころから、父も母も「こうしたら?」とは言うけど、命令はしませんでした。だから私の中で「何事も自分で決めてきた」という意識はあります。ただ、それも本当は両親が見守ってくれていたからなんですよね。

 今は小学生に陸上を教える機会がありますが、私も子どもとの距離感は気を付けています。ほったらかしは良くないし、かといって指示を出し過ぎてもいけない。ほどよい距離感が大事だと思います。

 母は今、私と同居して食事など生活面をサポートしてくれています。最近、「ここまで陸上を続けるとは思わなかった」とよく口にしますが、「いつまでやるの?」とは言いません。二〇二〇年の東京五輪までは七種競技で頑張るつもりです。

 聞き手・寺西雅広/写真・太田朗子

<なかた・ゆき> 1977年生まれ。京都府出身。中京大4年から七種競技を専門とし、2002年から日本選手権を9連覇。04年に5962点の日本記録を樹立し、アテネ五輪では日本女子混成競技としては40年ぶりの五輪出場を果たした。日本保育サービス所属。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報



ピックアップ
Recommended by