東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 暮らし > 暮らし一覧 > 9月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【暮らし】

<家族のこと話そう>父の一喝、目が覚めた 歌手・女優 板野友美さん

写真

 今の私があるのは、両親と妹、家族みんなの応援のおかげと感謝しています。

 横浜市で生まれ、小学三年まで五年間は銀行員だった父の転勤で大阪府吹田市で育ちました。幼稚園時代、歌番組でアイドルグループ「SPEED(スピード)」を見ていた母が「友ちゃんも頑張れば、こういうふうになれるよ」と言いました。母は元小学校教師でお芝居や歌が好き。内気だった私はいっぺんに彼女たちのファンになり、テレビやCDで歌と踊りを全部覚えました。その練習相手になってくれたのが四歳下の妹です。

 小学生になり本格的にダンスを習おうとしましたが、母は「先に習っている水泳をきちんとしてから」と。それで頑張って個人メドレーができるようになって水泳をやめ、二年生からダンススクールに通いました。そこでも頑張り、Jリーグ・ガンバ大阪の開幕試合のイベントで、キッズダンサーの一人として踊ったのが私の初ステージです。

 一家で横浜に戻ってからは東京に歌と踊りのレッスンに通い、バックダンサーとして紅白歌合戦にも出演しました。東京に通うのに母と妹がいつも付いてきてくれました。

 ただ、教育熱心な母は「好き勝手に何をしてもいいのは小学生まで」との考え。中学入学後は勉強に励みました。けれど、反抗期になってだんだん友達付き合いが優先になり、家では部屋に閉じこもって家族とご飯も食べないような生活に。一年ほどそんな状態が続いたとき、優しくて仲良しだった父から初めて「お母さんを悲しませるようなことをするな!」ときつく怒られ、目が覚めました。

 ちょうど高校受験を考えなくてはならない時期。両親から「友達と遊ぶエネルギーがあるんだったら、最後に芸能界への夢にもう一度挑戦したら」と言われ、受けたのがAKB48のオーディション。当時、その広告は専門雑誌に小さく出ていました。私は大手事務所のオーディションを受けたかったけれど、「(プロデューサーの)秋元康さんはすごい人」という母の勧めを尊重しました。

 AKB48でデビューした後も十九歳までは実家から仕事に通いました。早朝から深夜までの仕事が続いても、母は必ず手作りの料理を用意してくれ、銀行を退職して不動産業を始めていた父も車で駅へ送り迎えをしてくれました。帰りに寝過ごし、電車が終点まで行ってしまったときも。

 思えば厳しくも子ども思いの母と、いつも母を大切にする父は理想の夫婦。当分先ですが、結婚するんだったら父は理想の男性といえますね。

 聞き手・白鳥龍也/写真・朝倉豊

<いたの・ともみ> 1991年横浜市生まれ。2005年、アイドルグループAKB48の1期生でデビュー。中心メンバーとして活躍し、13年に「卒業」。「ナチュラルな自分を表現した」という7年ぶりの写真集「release」(講談社)を8月に刊行。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報