東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 暮らし > 暮らし一覧 > 9月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【暮らし】

<生きる支える 心あわせて>トレーニング(上) 母と息子、マンツーマン

アイ子さん(右)にボールを投げる公一さん。元気な体を維持するため、続けてきたトレーニングの一つだ=津市で

写真

 小さなバスケットボールが、ふわっと宙に浮く。八月中旬のある夜、津市の奥山アイ子さん(90)は自宅の寝室で、長男公一(きみかず)さん(63)とキャッチボールをしていた。

 「いくぞ」。パイプいすに腰掛けたアイ子さんに向かって、公一さんは幼い子どもにパスをするように、至近距離からそっとボールを投げる。アイ子さんはあまり姿勢を変えることはできないが、顔をしっかりと上げ、真剣な目でボールを追う。両手でボールをキャッチすると、すぐに公一さんに投げ返す。「おっ。いけるな」。親子で息が合うと、公一さんが小さく声を掛ける。

 アイ子さんは要介護4で認知症があり、公一さんが息子とは分からず、自らの兄と間違えたりする。立ち上がるのにも公一さんの助けが必要で、横になって過ごすことが多い。トレーニングは、筋力の衰えを食い止めようと公一さんが発案した。キャッチボールは筋力を付けるほか、硬くなりがちな肩の可動域を広げ、自分で食器などを使えるようにするのが狙い。軽いスクワットや足踏みも織り交ぜ、約十分間の運動を毎晩続けている。

 公一さんは三十五年前から市内でトレーニングジムを営み、さまざまな競技の選手たちの体づくりを指導。自らもパワーリフティングやベンチプレスの中部地区の大会で十回の優勝経験を持ち、今もジムの会員に交じってトレーニングに励む。培ってきたノウハウが、母の介護にも生きた。

 もちろん無理はできない。母の体調を見ながら、メニューの種類や回数を日々、調整する。「毎日、介護しているから。ほかの誰よりも、母の調子を感じられるんです」

 アイ子さんは穏やかな人柄で、家事と育児をこなしながら市内の印刷会社で働いた。退職後も市内の病院の調理場に勤め、入院患者の食事を作っていた。認知症の症状が出始めたのは二〇一二年、夫をがんで亡くした直後のことだ。

 「おしどり夫婦だったんで。ショックが大きかったんでしょう」。その後、アイ子さんは家事ができなくなり、自宅で転倒して背骨を折る大けがをしたことも。以来、公一さんがほぼ一人で介護している。

 ジムの仕事と介護の両立は、体を鍛えてきたとはいえ、六十歳を超えた公一さんにもつらい。仕事を終えてから入浴や着替えの世話に追われる。部屋のあちこちが便で汚れ、真夜中に床を拭き、何度も洗濯機を回すこともある。眠れるのは、新聞の朝刊が届くころだ。でも、トレーニングをすると、よく「ありがとう」と言ってもらえるのが励みだ。

 高齢者のトレーニングは一進一退。体調を崩したりしてトレーニングができない日が続くと、一気に筋力が落ちる。「脚が一回り細くなっているのが分かるんです」。頑張って維持して、また衰えての繰り返し。九月中旬にも、アイ子さんが熱を出して入院したため、トレーニングを中断した。

 近く退院できそうだが、体力が落ちているかもしれない。量をセーブして、アイ子さんの体調を見ながら再開するつもりだ。「一日でも長く、元気でいてほしいから」。母と息子のマンツーマンのトレーニングが続く。 (河郷丈史)

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報