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【暮らし】

<家族のこと話そう>親分肌、画才 父譲り 漫画家・山田貴敏さん

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 電気工事の仕事をしていたおやじは昭和一けた生まれの典型のような人。ほとんど家に帰らず、おふくろを泣かせてばかりいました。身長が一八〇センチ以上あって堂々としていて、仕事仲間からは慕われていました。会社に勤めていたころは長屋暮らしで貧乏でしたが、僕と妹はピアノを習わせてもらった。裕福な家の子は習っており、おやじなりの見えだったのでしょう。

 独立して収入が増えると、三階建てのビルに引っ越しました。小学五年の時、家に帰りランドセルを背負ったまま寝転がっていたら、たまたまおやじも帰ってきた。「しまった」と思う間もなく抱え上げられ、庭の池に放り込まれました。食事のときも、僕が先に箸を持っただけで「こんな飯が食えるか」と出て行く。強くて怖いおやじには口答えできませんでした。

 そのおやじのイメージが崩れたのは大学二年の時。東京での生活が楽しくて帰省しないでいたら、電話で「たまには帰ってこい」と。おやじは寂しいんだと、初めて気付きました。中学の時、自宅近くに家を新しく二軒建てて僕たちを驚かせたことがありました。僕と妹の家です。僕たちが成人しても、自分の周りに置こうとしたんですね。

 親分肌を受け継いだのか、大学の漫画研究会では後輩を引き連れて飲んでばかりいました。四年の時、部内で「描かないくせに威張るな」と言われて描いた初の作品が新人賞コンクールで佳作になり、道が開けました。おやじは僕が会社を継ぐと思っていたので「いつまで遊んでるんだ」と言っていました。でも、連載が始まると本屋で雑誌を買い占め、単行本が出ると知人に配りました。おふくろはどてらを作って送ってくれました。

 コトーの連載が始まってから、おやじは多発性骨髄腫にかかりました。テレビドラマを楽しみにしていましたが、始まる半年前に亡くなりました。「おれはもう駄目だ。後を頼むな」が最期の言葉。「あきらめるな」と言おうとしたけれど、苦しむ姿を見ると何も言えなかった。エックス線を撮る前でも髪をとかすほど格好を付けていたのに。おやじの死は思った以上にショックでした。何があっても助けてくれるという思いがどこかにあったんです。

 おやじには絵の才能があったようです。一度油絵を描かせたら、ちゃんと描けた。僕が絵を描けるのはおやじからの遺伝かもしれません。

 Dr.コトーの連載を近く再開するつもりです。おやじからもらった力を使い切っていない。助けてくれた人たちに恩返ししたいという思いで、再開を決心しました。

 聞き手・小中寿美/写真・松崎浩一

<やまだ・たかとし> 1959年、岐阜市生まれ。中央大在学中に投稿した「マシューズ−心の叫び−」で講談社新人漫画賞に入選し、同作品でデビュー。代表作「Dr.コトー診療所」は孤島の診療所で島民の信頼を得ていく若手医師の奮闘を描き、単行本が累計1000万部を超えるヒットに。2004年、小学館漫画賞を受賞。体調不良で10年から休載している。

 

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