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【暮らし】

<家族のこと話そう>心の中の母を支えに ピアニスト・小菅優さん

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 ピアノを初めて弾いたのは二歳のとき。ピアノ教師だった母の膝の上でした。当時の様子を録音したカセットテープが残っています。母が曲のタイトルを言うと、二歳の私が「はい」と答えて弾いています。

 母がゾウやリスなどの動物のイメージをピアノで弾き、私がその動物のまねをして踊るといった遊びをよくしました。音楽だけでなく図書館で読み聞かせをしたり、人形劇に連れて行ったりと、いろいろなことをしてくれました。

 九歳のとき、ドイツに渡りました。向こうの子たちと交流するコンサートに出演したのがきっかけで、ドイツの教授から「僕のところに来なさい」と声をかけてもらいました。友達もできていたし「自分のやりたいことは音楽だ」という思いもあって、自分から希望しました。

 父と母は海外と縁があったわけではなく、決心をするのはとても大変だったと思います。私の才能を見いだしてくれた母が「後悔してほしくない」と友人に話していたそうです。一緒に行った母は、徹夜でドイツ語を勉強していたので苦労したでしょうし、日本に残った父にも寂しい思いをさせました。

 母は片言のドイツ語でも現地の友達をつくってしまうほどたくましい人でした。自分たちで皮から作ってギョーザを焼くなど、一緒に料理をしました。母は父に毎日ファクスを送り、父は変な顔をしている写真をファクスで送ってきました。

 デビューして、コンサートに向けて自分たちで交渉をしなくてはならなくなったのですが、私は人と話すことがあまり得意ではありませんでした。母は「できることは自分でやりなさい」とあえて私に交渉をさせ、それが良いトレーニングになりました。

 母が突然亡くなったのは私が二十歳のころ。私に自立させるため、料理や身の回りのことを教えてくれているときでした。急にいなくなったので、それまでいかに母親がいろいろなことをやってくれていたのかに気付きました。

 落ち込まずにいられたのは、「今まで教えてきてくれたことを生かさなかったら、自分の心の中の母も死んでしまう」と思ったから。コンサートに打ち込み、気が紛れました。自分の内面を出し切れる音楽があって良かったです。

 私にとって、母はものすごく大きな存在だったので、今でもそばにいる感じがします。人生の選択のときや壁にぶつかったとき「母だったらどう考えるだろう」と心の中で問い掛けます。答えが分かるときと分からないときがありますが、きっと最終的には答えてくれているのでしょうね。

 聞き手・稲田雅文/写真・潟沼義樹

<こすげ・ゆう> 1983年、東京都生まれ。93年からヨーロッパ在住。2005年にニューヨーク・カーネギーホールでリサイタルデビューを果たす。今秋からリサイタル「Four Elements(フォー・エレメンツ)」を各地で開く。来年3月11日にサントリーホール(東京)である「東芝グランドコンサート2018 サカリ・オラモ指揮 BBC交響楽団」に出演する。

 

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