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【暮らし】

<家族のこと話そう>輝く星 父と心つなぐ 宇宙飛行士・油井亀美也さん

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 長野県川上村のレタス農家で育ちました。私は三人姉弟の末っ子。学校が休みのときは、二人の姉と一緒に両親の農作業を手伝いました。

 切り口についた土などをスポンジできれいに拭き取ったり、収穫したレタスをトラックに運んだり。子どもでも与えられた仕事に責任を持ってやらないと「みんなに迷惑がかかる」と、両親に厳しく叱られた。振り返ると、チームワークの大切さを教えてもらった気がします。

 仕事のとき以外は甘やかされて育ったので、すごくおっとりした子どもでした。父方の親戚が付けた「亀美也」という名前は「(カメのように)ゆっくりでも少しずつ前に進んで目標を達成する人に」という思いが込められています。名前の通り、子どものころは競争心がなく、運動会では転んだ子が起き上がるのを待って一緒にゴールしたりして、両親は歯がゆい思いをしたそうです。家計の事情もあり防衛大に入り、自衛隊に入隊したので、おっとりしているわけにはいかなくなりましたけど。

 生まれ育った村は星がすごくきれいで、小学三年生くらいから星に興味を持ち、将来は宇宙飛行士か天文学者になりたいと思っていました。天体望遠鏡を買ってもらい、暇さえあれば近くの山へ行って何時間も星を眺めていました。山へは父がトラックで連れて行ってくれました。あるとき、父に土星を見せてあげると美しさに感激していた。気持ちが通じ合えた気がして、うれしかったですね。

 自衛隊に入り、結婚して三人の子どもにも恵まれ、安定した日々を過ごしていましたが、宇宙飛行士の夢も捨てきれずにいました。二〇〇八年に宇宙航空研究開発機構(JAXA)の宇宙飛行士の募集があったとき、妻が聞き付けてきて背中を押してくれました。後で聞くと「試験に落ちれば諦めが付く」とも思っていたようですが。父はいつか農家を継いでほしかったようで、少し寂しがっていましたが、最終的には「尊敬する」と言って喜んでくれました。

 カザフスタンの発射台から宇宙へ飛び立つ日、家族みんなで見送りに来てくれました。母は数年前に他界していたのですが、父が母の写真を持って来てくれて。母にも見守られている気がして、安心できた。家族は私を支えてくれる源だと感じました。

 子どもたちは、私が宇宙にいるときの映像を見たりすると「すごい」と思うようです。今は、また宇宙に行って仕事がしたい気持ちでいっぱい。そのうち孫が生まれて、日本人初の「おじいちゃん宇宙飛行士」になれたらいいなと思っています。

  聞き手・花井康子/写真・松崎浩一

<ゆい・きみや> 1970年生まれ。92年、防衛省航空自衛隊入隊。2009年、JAXA入社。15年、国際宇宙ステーション・ISSに第44・45次長期滞在クルーのフライトエンジニアとして約142日間滞在。補給機「こうのとり」を、宇宙でロボットアームを使ってキャッチするミッションを日本人で初めて遂行した。

 

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