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【暮らし】

<家族のこと話そう>姉が一番のライバル 歌手・由紀さおりさん

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 父の仕事の関係で群馬県桐生市で生まれました。兄と七歳上の姉(声楽家の安田祥子(やすださちこ)さん)がいて、私は末っ子。父は、私が自宅で生まれたときのことを「自分がお湯を沸かして手伝った」と、いつも自慢していました。

 三歳のころ横浜市へ移りました。家の前の小学校で「ひばり児童合唱団」が練習をしていたのを小学生だった姉が聴いて入団することになり、私も入れてもらいました。両親は音楽には縁がなかったけれど、姉が幼稚園のころから先生に「音楽の道へ」と言われていたのが心に残っていたようです。

 姉がコロムビアから童謡歌手としてデビューした後、私も小学一年生でオーディションに合格。父はレコード会社の方から「奥さんはお子さんに取られてしまいますが、いいですか?」と言われたそうです。父は「覚悟はできていますって言っちゃったから、しょうがない」とずっと言っていました。

 姉はその後、クラシックの道へ。私は長年「お姉ちゃんには勝てない」と思ってきたので、クラシックへは進まないと決めました。姉は一番、身近なライバル。普段は仲が良かったけれど、音楽のことではけんかもしました。

 二人でコマーシャル音楽の仕事をしたとき、姉は相手の指示に「できません」と言ってしまう。そんなことするために音楽を勉強しているんじゃないと。私は依頼主に「OK」と言ってもらうことが仕事だと考えていた。高校生だったけれど、姉に「できないなんて言わないで」と言い、よくけんかになりました。

 ただ、姉は米国での経験を経て日本の歌曲を歌い始め、私もデビュー曲「夜明けのスキャット」のヒットなどを経て、お互い自分の道を「間違いない」と思うようになっていきました。私のデビュー十五周年コンサートのとき、母が「お姉ちゃんに力を借りたら?」とゲストとして招くことを提案。二人で十五分ほど童謡、唱歌を歌ったのです。

 お客さまからの反響がとても大きかった上、母が「私のひつぎに入れるアルバムを作ってちょうだい」と言う。レコード会社の反応は冷たかったけれど、童謡のアルバムを作って、姉妹でコンサートを始め、お客さまに「手売り」しました。

 七年目には童謡のアルバムセールスが百万枚を突破し、十年目にはニューヨークのカーネギーホールでコンサートも開きました。姉妹での活動は今年で三十一年。二人で歌うことが、親孝行になったかなと思うこともありましたが、今は逆に、姉と「お母さんから私たちへのプレゼントだったね」と話しています。

  聞き手・竹上順子/写真・中西祥子

<ゆき・さおり> 1948年、群馬県生まれ。小学生から童謡歌手として活躍し、69年に「夜明けのスキャット」でデビュー。ドラマやバラエティー番組などにも多数出演。斉藤和義さんらシンガー・ソングライターの楽曲を収めたカバーアルバム「歌うたいのバラッド」を29日、ユニバーサルミュージックから発売。

 

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