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【暮らし】

<いのちの響き>地域移行のはざまで(1) 自由もサポートも欲しい

職員や入所者らと交流する服部晃子さん(右から2人目)=津市の三重県いなば園で

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 大規模障害者施設で暮らす人が施設を出て、自宅やグループホームなどで暮らす「地域移行」が各地で試みられている。しかし、昨年七月に連続殺傷事件が発生した相模原市の「津久井やまゆり園」の建て替えでは、施設をなくし入所者が地域で暮らす案も検討されたが、小規模施設を分散して建てることで決着。地域移行が容易でないことを示した。背景には、重度の障害者が入れるグループホームはまだ少なく、地域の受け入れる準備も整っていないことがある。障害者が暮らす場所について、六回にわたって考える。

 津駅から車で約三十分の家もまばらになった山あい。ナゴヤドームほどの広大な敷地に、保育園の園舎に似た寮や、校舎のような外観の管理棟が立ち並ぶ。畑やグラウンドもある。重い知的障害の人が多く暮らす大規模施設「三重県いなば園」だ。六歳から高校生までの子ども三十一人と、十八歳から七十六歳までの大人百二十三人が、子ども、成人それぞれの寮に分かれて生活している。

 午前七時半、テレビとソファがある成人寮の共用フロアで、入所者の男性(30)が職員とじゃれ合っていた。「最近は自分からトイレに行けるようになったね」。日頃のトイレ誘導の成果が出て、職員もうれしそうだ。

 男性は自室の壁やドアを便で汚して、周囲を困らせることがある。親元を離れ、入所して三年。園での生活になじんで頻度は減ったが、重い自閉症のため、職員の配置換えなどがあるとやってしまう。「他にも大勢の利用者がいるので、付きっきりでないときの寂しさがあると思うんです」。寮長の野田寛将(ひろのぶ)さん(45)はそう話す。

 成人寮の障害者のうち、七割以上の九十四人が、国の障害支援区分で最重度の「6」。食事やトイレにも助けが必要な人が多く、感情を抑えるのが苦手でテレビなどを衝動的に壊してしまう人もいる。

 いなば園は一九七七年、県立として開設し、二〇〇六年から社会福祉法人「三重県厚生事業団」が運営を引き継いでいる。職員約百五十人のうち、百人近くが入所者を二十四時間態勢でサポートしている。管理棟には、精神科、歯科、内科、理容室も入っており、利用者は診察や散髪も毎月、園で受けられる。

 一方、午前六時半の起床から午後十時の就寝まで、食事、入浴、休憩など、一日のスケジュールは決まっており基本、全員が同じ日程で暮らす。家族や成年後見人が会いに来る場合を除き、外出できるのは月一〜二回程度。職員が付き添って出掛けるときだけだ。

 そこに窮屈さを感じる人もいる。服部晃子さん(36)は園に来て十六年。若くして母親を亡くし、施設しか自分の居場所はないと思ってきた。でも、五年ほど前、職員に誘われ、街中のグループホームを見学し、「グループホームがいい」と口にするようになった。

 グループホームなら、ヘルパーの助けを借りて毎週末でも外出できる。近くに店も多く日用品などを好きなときに買いそろえられる。園にはない自由と便利さがうらやましいと思った。日中は作業所に通うことになるが、「がんばれる」と前向きだ。

 園での日中活動ではケーキや菓子パンの絵を描くのが好きで、普段は人一倍集中して取り組める。しかし、気持ちの波がたびたびやってきて、何をするにも意欲が湧かず、着替えやトイレも一人ではままならなくなるときもある。常に目が離せないとなると、終日、職員を配置する余裕がないグループホームでは難しい。

 「焦ってグループホームに行って失敗するなら、行けるところが見つかるのをゆっくり待った方がいいのかなと思う」。そう自分に言い聞かせ、園での生活を続ける服部さんを、職員も複雑な思いで見守っている。

上空から見た「三重県いなば園」=津市で

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◆「施設外」増えたが限界も

 医療機関を除き知的、身体、精神などの障害者入所施設は二〇一六年度時点で全国に二千六百カ所あり、計約十三万人が暮らしている。施設以外で暮らす選択肢は広がっているものの、厚生労働省の担当者や施設関係者らによると、施設数や入所者数はかなり以前から大きく変わっていないという。

 コロニーといわれる障害者の大規模入所施設の建設が相次いだのは一九六〇年代後半から七〇年代。厚生省(現厚労省)の有識者懇談会が六五年、欧米にならって整備を提案したのを受けてのことだった。

 当時は、障害がある人が偏見や差別を露骨に受けることもしばしば。親たちにとって、自分たちの死後も子どもが安心して暮らせる場の確保は悲願だった。それを反映し、施設は病院、学校、作業所などを備え、全ての生活が敷地内でできるようになった。東京ドーム五十個分の敷地面積約二百三十二ヘクタール、定員五百五十人の「国立コロニーのぞみの園」(現国立のぞみの園)=群馬県高崎市=などの超大型施設も建設された。

 ただ、広大な用地を確保できるのは人里を離れた山間部が多く、「隔離施設」という批判もあった。八一年、国連の「国際障害者年」を機に、障害者も普通の生活を送る「ノーマライゼーション」の機運が高まり、地域で暮らす方法が模索され始めた。

 その受け皿となるのが、ヘルパーの支援を受けて数人が一緒に生活するグループホーム。二〇〇〇年ごろから、地方自治体を中心に入所者をグループホームなどに移す動きが本格化し、〇六年の障害者自立支援法(現障害者総合支援法)施行を受けて、自治体は数値目標を掲げ、さらに本腰を入れるようになった。

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 長野県駒ケ根市にある県立の知的障害者施設「西駒郷」は、〇三年度から地域移行に取り組んだ。一六年度までに二百九十四人が移行し、定員は五百人から百二十五人に削減された。国立のぞみの園でも、三分の一弱の百七十人が移った。

 しかし、その取り組みは順調なばかりではない。宮城県大和町の「船形コロニー」は〇二年、県から運営を委託された社会福祉法人が「施設解体」を宣言。約五百人の入所者全員の移行を目指したが、家族の反対や、推進した当時の浅野史郎知事の交代もあり、四年後に白紙撤回した。〇三〜一〇年度に、二百二十四人が地域に移ったが、それ以降は四人しかいない。

 現在は、障害支援区分が最も重い「6」の人を中心に二百十人がおり、同規模の施設を現地で建て替える計画だ。県の担当者は「二十四時間一対一の支援が必要な人を、地域で支えきるのは無理がある」と話す。

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 国民健康保険団体連合会(国保連)によると、グループホーム入所者は全国で約十一万人いるが、支援区分「6」とそれに次ぐ「5」の人は合わせても全体の二割に満たない。一方、入所施設では、入所者の七割強が「6」と「5」の人=グラフ=で、重度の障害がある人の移行が進んでいないことがうかがえる。

 地域移行をめぐる議論は、相模原市のやまゆり園の建て替えでも交わされた。当初、神奈川県は家族の希望を受けて現地で建て替える方針を示した。しかし、「地域移行に逆行する」と有識者らから異論が出され、入所者をグループホームに移すことが検討された。これに対して今度は家族から反対の声が上がり、最終的には十人程度の小規模施設を複数地域に分散することになった。 (添田隆典)

 

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