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【暮らし】

<家族のこと話そう>日本史好きは祖父譲り ラジオDJ クリス・グレンさん

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 オーストラリアから日本に移り住んだのは、二十四歳のときです。日本に興味を持つようになったのは、亡くなったおじいさんの影響が大きいですね。もともと小学校の教師でしたが、第二次世界大戦でオーストラリア軍に従い、五年も戦地にいました。

 ニューギニアなどでは日本軍とかなり激しい戦闘をして負傷し、マラリアにもかかったそうです。でも、戦争が終わると、「もう日本人は敵ではない。これからは日本のいいところを勉強しよう」と、日本を悪く言うことはありませんでした。

 六十年以上、一緒に暮らしたおばあちゃんが「人の悪口を一度も聞いたことがない」と言う人柄。相手のよい面を見ることをいつも忘れなかった。だからこそ、かつての敵国を自分の目で見たいという気持ちになったのだと思います。教師を退職後、おじいさんは二カ月かけて日本を旅行しました。おじいさんの家にはそのときに買った掛け軸やあんどん、日本製の家電などがたくさんあって「すごい国だなあ」と、幼いころから日本への憧れがありました。

 十六歳のとき、交換留学生で札幌に一年間、ホームステイしました。札幌の骨董(こっとう)市で飾りかぶとを買い、おじいさんへのクリスマスプレゼントに贈ったら、「立派ですねえ」とすごく喜んでくれた。僕が日本の歴史を好きになったのは、おじいさん譲りです。

 お父さんは逆に、すごく厳しかった。僕は数学が苦手でした。学校で低い評価をもらうと、他の科目が良くても数学のことばかり言われました。しつけにもうるさかった。警察官だったから、「人の模範に」という気持ちが強かったんだと思います。ラジオDJになるのも、最初はすごく反対しました。専門学校の学費も出してくれなかった。

 でも、十八歳で地元ラジオ局のDJになると、陰から応援してくれました。担当した深夜番組は、ベッドの中で毎日、聴いてくれました。当時はそのことを全く知らなくて、十年ほど後にお母さんが教えてくれました。番組では政治や社会のニュースも扱っていたので、会話の幅が広がったことにお父さんもびっくりしていました。そのとき初めて、僕の仕事を認めてくれたんだと思います。

 オーストラリアにいる両親とは、インターネット電話の「スカイプ」で毎週、連絡を取り合っています。関ケ原の戦いについて僕が英語で書いた本も読んでくれた。お父さんから、石田三成について質問されたときはびっくりしましたが、日本の歴史で盛り上がれたのがうれしかったです。

 聞き手・添田隆典/写真・小嶋明彦

 1968年2月、オーストラリア・アデレード生まれ。18歳のとき、地元ラジオ局のDJとなり、92年に来日。東海エリアを中心にラジオDJやタレントとして活躍している。趣味で戦国の歴史研究や城めぐりをしており、近年は日本の歴史、文化の魅力を伝える講演活動や外国人観光客受け入れのためのアドバイザーなども務める。著書に「豪州人歴史愛好家、名城を行く」(宝島社)など。

 

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