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【暮らし】

<私が選んだ道>(1)憧れの先輩を支える決意 ALS患者社長の秘書・坂田勇樹(37)

 ある人の生き方に感銘を受けたり、何かをしている瞬間がたまらなく心地よかったり…。自分の人生を丸ごとささげたいと思うような対象に出合ったことはありますか。生活の大半を特定の活動に充てたり、誰かのために大きく人生を変えた人たちがいる。人生をささげるだけの魅力は何なのか。そこに至った経緯や人生観を聞いた。

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ALSを患う恩田聖敬さん(右)をサポートする秘書の坂田勇樹さん=岐阜市の長良川スポーツプラザで

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 元は京都大の合唱団の先輩と後輩。今は、社長と秘書の間柄だ。

 サッカーJ2のFC岐阜前社長で、難病・筋萎縮性側索硬化症(ALS)患者の恩田聖敬(さとし)(39)が退任後に設立した会社「まんまる笑店」に秘書として勤める。社長の恩田の講演や研修などを請け負う会社で、日程管理や仕事先への送迎が主な仕事だ。ヘルパーの手も借りるが、仕事は創業以来、ずっと二人だけで回してきた。講演や研修の講師などで忙しい恩田にいつも付き添いサポートを続ける。

 筋肉が萎縮し体が少しずつ動かなくなる病気の影響で、恩田は声がほとんど出ない。コミュニケーションは喉から絞り出すかすれがちな声を聞き取るか、「あ、い、う…」と一文字ずつ確認しながら言葉を読み取る口文字と呼ばれる手法を使う。恩田が人前で話すときはすぐそばに座り、かすかに聞き取れる声やわずかなうなずきを見逃さないように顔を寄せ、メモを取る。「恩田が言いたいことを、ストレスのないスピードできちんと伝えないと」

 二学年上の恩田は、自身が合唱団に入ったときの指揮者だった。いつも多くの人に囲まれ、遠い存在のように思えたが、人見知りだった新入生の自分にも「楽しんでるか」と気さくに声を掛けてくれた。「影響力があり、憧れていた」

 卒業後、故郷の福岡県に戻り、地元のテーマパークに就職した。一方の恩田はそのころ、アミューズメント事業会社の管理部門の担当役員。互いに忙しく、連絡を取り合うことは少なくなっていた。二〇一四年、そんな二人を結びつけることが起きる。恩田がFC岐阜の社長に就任したのだ。

 つぶれかけたアミューズメント事業会社を再建させた実績が買われ、J2最年少の三十五歳での就任。経営難に苦しむFC岐阜の立て直しが期待され、メディアでも大きく取り上げられた。「やっぱり、すげえ」。坂田の心を揺るがした。

 恩田はホームゲームでは自らサポーターの出迎えと見送りを続けたほか、岐阜市内にクラブハウスを建設。入場者は増え、J1に昇格するためのライセンスも取得し、地元は活気づいた。社長としての活躍ぶりに「いつか試合を見に行きたい」と思うようになった直後の一五年一月、恩田はALS罹患(りかん)を公表。耳を疑った。いつも大きな声で励ましてくれた学生時代を思い返し「自分にできることはないか」と考え続けた。本業の傍らサッカー業界について調べたりマーケティングを勉強したりして、力になれそうなことを探した。

 その年の六月、合唱団仲間とFC岐阜の試合観戦のため岐阜市を訪れた。久しぶりに会った先輩は車椅子に座り、言葉がはっきり話せない状態だった。「ショックで、なんと声をかけていいか分からなかった」。しかし次の瞬間、「できることがあれば、仕事を辞めてでも手伝いに来たい」。自分でも驚くほど自然に言葉が出た。

学生時代、合唱団の飲み会で記念撮影する坂田勇樹さん(左)と恩田聖敬さん。よく食事に出掛け、歌を歌った=坂田さん提供

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 福岡に戻っても、恩田のことが頭から離れなかった。勇み足だったかと不安になることもあった。その間も恩田の病状は悪化。FC岐阜の仕事は続けられなくなり、同年十二月に社長を退任した。

 その直後、恩田から携帯電話のメッセージが届いた。「話したいことがある」。早速出向いた岐阜で、恩田と当時の秘書から起業の話を聞き秘書への就任を打診された。

 「お客さんを楽しませるテーマパークの仕事は好きだった。でも一方で、社会を切り開くようなことをしたいという思いもあった。慕っていた先輩を助けたい気持ちもあった。自分は独身で自由が利く。やるしかないと承諾した」

 それまで福祉の仕事はしたことがなく、ALSの知識は本を読んだくらい。不安もあったが「私は恩田のこれまでの人生や思いを分かっている。これは誰にも負けない自負がある」。恩田は「坂田は自然に人を笑顔にすることを考えられるやつだから」と、秘書に迎えた思いを語る。

 「まる」には、切れ目のない優しい雰囲気とどこから見ても形を変えない強さがある。人の輪の中で地域を元気にし、笑顔を届けられる会社に−。二人で相談して決めた社名には、そんな思いが込められている。

 恩田がFC岐阜の社長を退任する際、「やり残したことしかない」とコメントしたことを、今でもふと思い出す。どんなにつらかっただろう。でもそれならば、今の会社でしかやれないことを共に成し遂げるしかない。「ALSの社長もまれなら、ALSの社長の秘書もめったにいない。天職だと思っている」=敬称略 (花井康子)

<さかた・ゆうき> 1980年福岡県古賀市生まれ、岐阜市在住。京都大総合人間学部基礎科学科卒。2005年4月から16年4月まで、福岡県のテーマパーク「スペースワールド」に勤務。同5月から恩田聖敬さんと起業準備。7月、クラウドファンディングで創業資金を募り「株式会社まんまる笑店」を設立。主な事業は恩田さんの講演や執筆、研修など。社長秘書に就任し、現在に至る。資料作成、講演補佐、福祉車両運転、対外交渉などの業務を担当。趣味は読書、ネットサーフィン。

 

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