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【暮らし】

<私が選んだ道>(2)温かい交流 勇気に変え 自転車で世界一周・小口良平(37)

自転車で世界一周をし、現地での出会いを話す冒険家の小口良平さん=長野県岡谷市で

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 訪れたのは百五十七の国と地域、距離にして十五万六千キロ。八年半かけ、自転車で五大陸を走破し世界一周を達成した。何かに夢中になったことがない自分を変えたくて始めた旅は、行く先々での人との出会いに支えられてきた。日本アドベンチャー・サイクリストクラブ(大阪市)によると、自転車による訪問国数で日本人歴代一位の記録だ。

 大学三年の冬、就職活動の気晴らしに、箱根温泉まで自転車で目指すことをふと思い付く。「駅伝で走れるなら、余裕だろう」。ただ、当時住んでいた東京の下宿先からは百キロもある。半日もたたず、途中でくじけそうになった。

 それまでも一つのことを成し遂げた思い出はない。自分が情けなくて悔し涙が出てきた。そんなとき、道行くお年寄りにお茶をもらった。「ひとまずこれでも飲みなさい」。思いがけない親切に背中を押された。厳しい上り坂を駆け上がり、二日がかりで箱根まで走り切れた。「自転車って、こんなに達成感があるんだって感動した」

 大学の卒業旅行でチベットを訪れたことも転機となった。予定通りに電車が来ないなど驚くことばかり。逆に、型にはまった生き方をしている自分がちっぽけに見えた。「日本にいては分からない自由な世界をもっと見たくなった」

世界一周旅行でエチオピア北部を走る小口良平さん=小口さん提供

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 就職した会社を三年半で退職。生活費を切り詰め、旅の資金一千万円をためた。マウンテンバイクで二〇〇七年三月から一年かけてまず日本を一周すると、一年後に海を渡った。

 海外では衛星利用測位システム(GPS)に表示されない地域も多く、地図と人の情報を頼りに進路を取った。標高四千メートル級の山々など道なき道を突き進み、夜は民家の庭などを借りてテントを張った。

 初めのうちは景色に魅了されていたが、やがて人との出会いが旅の目的に変わっていった。カンボジアでは現金もなく路頭に迷っていたところ、警察官が自宅に泊めてくれ、別れ際に月給の半分のお金まで持たせてくれた。政情不安の西アフリカで、テロや誘拐に巻き込まれる不安から体調を崩したときも、ホテルの人たちが介抱してくれた。

 「見ず知らずの日本人を助けてくれる人は必ずいた。その優しさがうれしくて旅を前に進められた」

 自分からも溶け込もうと、「こんにちは」「ありがとう」「おいしい」の三つは、その国の言葉ですぐ覚えた。「あいさつと感謝を伝える大切さは万国共通。食はその国の文化そのもの。褒めると一気にうち解けられた」

 途中で一時帰国したのは、インドで事故に遭い、壊れた自転車を新調するために戻った一度だけ。東欧では氷点下三〇度の大寒波に見舞われ、一度は引き返そうと決意したが、これまで助けてくれた人たちの顔を思い出すと、あきらめきれなかった。

 一六年九月、ニューヨークでゴールを迎えた。けれど、帰国後の夢がすでに芽生え、「通過点」の意識の方が強かった。「今度は自分が恩返ししたい」。その一つが地元長野で外国人旅行者らをもてなすゲストハウスを開く計画。そして、もう一度、自転車で世界を駆ける夢も。「旅で出会った人たちに、感謝の気持ちを直接伝えたいから」 (添田隆典)

<おぐち・りょうへい> 1980年6月、長野県岡谷市生まれ。自転車世界一周の旅はまずオセアニアを回り東南アジアを経て中央アジアを西進。東欧、中欧、中東も巡り、アフリカ大陸は西欧、北欧の旅を挟んで2回に分けて走破。最後にアメリカ大陸を回った。帰国後は全国各地を回り旅の体験を語っている。

<自転車の世界一周> 日本アドベンチャー・サイクリストクラブは、日本を出発点に赤道を通過し、大西洋を挟む2大陸以上を走破した場合などに認めている。日本人では少なくとも102人が達成している。

 

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