東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 暮らし > 暮らし一覧 > 2月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【暮らし】

<家族のこと話そう>兄弟の絆はおやじの功績 作曲家・ピアニスト 加古隆さん

写真

 男ばかりの四人兄弟の長男として育ちました。おやじはあまり細かいことは言わなかったのですが、「兄弟仲良く」ということだけは、口を酸っぱくして言っていました。今でもその言葉が生きていて、相当仲のいい兄弟です。おやじの功績ですね。

 ぼくが小学生のころは、毎日兄弟げんかか、相撲やレスリングの取っ組み合い。家の中はすさまじく、ふすまや障子が破れるのは当たり前。親がいない時は、家で野球をしてボールを投げたりバットを振ったりしていたので、よくガラス戸を割りました。冬は、修理の日まで寒いのを我慢したのをよく覚えています。

 朝ごはんの時は、四人がひっきりなしにおかわりの茶わんを差し出すので、茶わんは大きな丼になり、炊飯器も大きい業務用でした。子育てで母は大変だったでしょう。おやじは自営業で、母は仕事も手伝っていました。

 ぼくがピアノを習い始めたのは小学二年生のころ。担任の女性教諭がたまたま音楽の先生で、授業中の様子を見て、「この子は勘がいいから習わせてみては」と両親に話してくれたんです。

 うちは、家族にも親戚にも音楽家はいないし、当時、校内でピアノを習っている男子はいませんでした。ただ、母は高等女学校時代に、音楽を勉強したいと父親に頼んだけれど、習わせてもらえなかった経験があったようで、先生の提案に賛成。ぼくは放課後、学校で先生に手ほどきを受けるようになりました。今だったら、えこひいきと問題になるかもしれませんね。先生には感謝しています。

 その後、本格的にピアノを学び始めたぼくの影響で、弟三人も近くのピアノ教室に通うようになりました。誰一人プロなんて目指していませんから、みんな練習をいやがる。長い間練習せず、父から「それならピアノをやめなさい」と怒られた時がありました。ぼくは自分でもよく分からないのですが、「やめない。続ける」と言いました。一方、次男は食事中、涙をポロポロ流しながら「ほかのことなら何でもするから、ピアノはやめさせて」。今でも思い出すと、おかしくなります。

 次男は三十代で翻訳関係の会社を起こし、今は引退して悠々自適。三男はピアノを続け、中学からブラスバンドに熱中。トランペット奏者になり、音楽大の教授です。

 みんなぼく以外は身長一八〇センチ以上でスポーツも好き。特に四男は中学の野球部で四番・ピッチャー。全国の高校からスカウトが来ましたよ。名門高校から甲子園に二回出場し、早稲田大でレギュラー。体をこわして選手生命は絶たれましたが、今でも野球に関する仕事をしています。

 今年はまた四人で顔をそろえたいものです。今は何よりみんなの健康が願いです。

 聞き手・砂本紅年/写真・五十嵐文人

<かこ・たかし> 1947年、大阪府豊中市生まれ。東京芸術大大学院作曲研究室修了。パリ国立高等音楽院で現代音楽の巨匠オリビエ・メシアンに師事。代表作にNHKスペシャル「映像の世紀」のテーマ曲「パリは燃えているか」など。2月11日に大阪、同12日に名古屋、3月4日に東京でコンサートを開く予定。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報