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【暮らし】

<わたしの転機>視覚障害者のガイド役 親の看病、子育て、経済苦…「苦労役立てて」娘が後押し

視覚障害がある人と談笑しながら街を散策する和泉沢とも子さん(右)=東京都台東区で

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 幸せを夢見るはずの少女時代、母親の看病に明け暮れた。2人の妹の世話もし、アルバイトで家計も支えた。21歳で母を見送り結婚。3人の子育てが一段落したころ、上の娘が言った。「苦労してきた経験を社会に役立てたら?」。東京都台東区の和泉沢とも子さん(70)は視覚障害者の外出をサポートするボランティアに取り組んでいる。

 確かに母の看病は壮絶でした。末期の胆道がんでした。看病は私が中学三年生の時から七年間。二人の妹はまだ小さく、父は家を出て行った。私が妹たちを世話し、家具屋でアルバイトをして、母を看病するしかなかったのです。

 大きな専門病院もいくつか回りましたがだめでした。最期の時は母は声も出せず、寝る時は、私の手首と母の手首をひもで結び、痛ければ強く引いて知らせるようにしました。私は布団を敷いて寝た記憶がありません。

 母を見送った後、普通の暮らしを取り戻しました。二十六歳の時に結婚。三人の子どもを授かりました。手もかかりましたが、皆が成長するまで二十年以上、主婦をしてきました。

 友人から「親ががんで…」と打ち明けられ、自分の経験を語ったこともあります。病苦、経済苦、家庭の問題など、若いころに経験し、一つずつ乗り越えてきたから、周りの人の苦しみに真剣に向き合える。

 自分の経験を社会で生かす。娘がそう言ったのは、第二の人生を考える時と重なりました。それもそうだとボランティアをやろうと思いました。知人に目の不自由な方がいたことから、区の視覚障害者の外出をサポートするボランティアに参加。その事業が民間に移ったのを機に、二〇〇三年に「視覚障害者ガイドヘルプ事業」を設立しました。

 実績を重ね、一二年に「NPO法人ガイドヘルプ『あいサポート』」を設立。理事長となって、自分もガイドヘルパーを続けています。現在では、介護相談員として、さらには市民後見人として活動の場を頂いております。

 私としては目が不自由でも気軽に街歩きを楽しんでもらいたい。そのお手伝いをこれからもしていきたいと思います。

 ちなみに、きっかけをくれた娘もNPO事務局で手伝っています。私の背中を押した張本人ですからね。 (三浦耕喜)

 

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