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【暮らし】

<お湯がつなぐ>(1)ヤマのぬくもり守りたい 北海道・南美唄地区共同浴場

浴場で常連と話す美唄市連合町内会長の米田光雄さん(左)=北海道美唄市の南美唄地区共同浴場で

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 都会の中の銭湯や山間の温泉には、お湯を通じた人と人との交流がある。古くからの住民が触れあう共同浴場や若い人や外国人が集う銭湯…。お湯がつむいだ人間模様を列島各地から紹介する。(この連載は、北海道、東京、中日、西日本各新聞による合同企画です)

 四月上旬の土曜日、午後四時すぎ。

 旧産炭地・北海道美唄(びばい)市の南美唄町にある「南美唄地区共同浴場」で、元炭鉱マンの米田光雄さん(87)が、入浴客に声を掛けていた。

 「いい湯かい」「熱くていいね」「そうだろう」

 浴槽のタイルをなでる米田さんの指は、骨折や打撲のあとで、でこぼこだ。

 「落ちてきた石に手がつぶされてね。ヤマの男はみんなこうだ」。米田さんは細い目に笑みを浮かべながら、そう話した。

    ◇  ◇

 共同浴場は、南美唄町のかつての炭鉱住宅(炭住)街の一角にある。T字形の煙突が立つ三角屋根の素朴な建物。市内唯一の公衆浴場で、築三十五年だ。共同浴場は市が所有し、現在、市連合町内会が指定管理している。その会長が、米田さんだ。

 米田さんは終戦後、樺太から引き揚げ、一九四六年に三井美唄炭鉱に入社。採炭の最前線といわれる坑内掘りを担当した。その後、国のエネルギー政策の転換で石炭産業は衰退。同炭鉱も六三年に閉山した。

 当時、住民が困っていたのが「風呂」だった。

 「炭鉱直営の浴場が南美唄だけで十カ所ほど。炭住には内風呂が無く、みんなそこに通ったんだ」と米田さん。米田さんも現役時代、直営浴場に毎日のように通った。炭鉱マンであふれかえる浴場で、同僚たちと石炭で真っ黒になった手や体を流し、湯船につかった。

 しかし、閉山で美唄市の人口は五六年の九万人超から急減し、今年三月末で約二万二千人に。直営浴場は次々に閉鎖された。そこで、市が南美唄に八三年に設けたのが、七〜八人も入ればいっぱいになる浴槽に、簡素な脱衣場を備えた共同浴場だった。

 米田さんは足が悪くなり共同浴場を訪れる回数は減ったものの、開設以来、運営に携わってきた。この間、客足は八四年度の約四万七千人から二〇一七年度は約五千人に減り、年間約五十万円の赤字を市の助成金で補うなど、厳しい経営が続く。ヤマの仲間たちも次々に美唄を去った。「すっかり静かになった。さみしいね」と米田さんは言う。

 四歳ごろから南美唄で暮らす青柳美枝子さん(74)は、約四年前に番台に座り、ずっと共同浴場の人間模様を見詰めてきた。最近、なじみの客が姿を見せなくなることが増えてきたと感じる。「お客さんは大半が七十代。夫婦で通っていたのが一人になり、そのうち来なくなったりね」。そんな言葉が、人けの少ない脱衣場に吸い込まれていく。

 ガラス戸越しに浴場が見渡せる脱衣場で、木のベンチに座った米田さんは何度も言葉に力を込めた。

 「自宅から一時間かけて歩いて通う人もいる。ここは残さんとならん」

    ◇  ◇

 後日、一人でふらりと共同浴場を訪ねた。

 湯につかり、かつての炭鉱のにぎわいに思いをはせていると、浴場の戸が開いた。地元の小学六年生の男の子だった。週に三回、共同浴場に通っている。

 普段は祖母と一緒だが、この日は一人。番台から、脱衣場の客から、「きょうは一人なんだね。ゆっくりしてきな」と声がかかる。「みんな知ってる人。ここのお風呂が好き」と男の子。炭鉱が消えて久しいが、地域住民が手を携えて生きるヤマの伝統は、しっかりと息づいている。

 文・末角仁(すえかどじん)/写真・野沢俊介

 (北海道新聞)

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<南美唄地区共同浴場> 1983年開設。北海道美唄市南美唄町下4条4。営業時間は火、木、土の午後4〜8時半(10月1日〜3月31日は午後4時半から)。入浴料大人400円、中学生まで140円。(問)美唄市生活環境課=電0126(62)3142

 

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