東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 暮らし > 暮らし一覧 > 5月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【暮らし】

<お湯がつなぐ>(3)世代、部署超え裸の交流 東京・バスクリン「銭湯部」

風呂上がりに脱衣所でくつろぐバスクリン「銭湯部」の部員ら=東京都文京区で

写真

 マンションや大学が立ち並ぶ東京都文京区大塚。ネクタイを締めたスーツ姿の男性七人が平日午後七時、銭湯「大黒湯」ののれんをくぐった。全員同じ会社の社員だが、年代も部署も役職もバラバラ。

 「ふぅー」

 首の辺りまでお湯につかり、大きく息を吐いたのを合図に、和やかな表情で会話が始まった。

 湯につかり談笑しているのは、入浴剤メーカー「バスクリン」(千代田区)の社員。業務ではなく、会社公認の部活「銭湯部」としての活動だ。他にも、ウェブでの銭湯情報の発信、銭湯を舞台にしたイベントの企画などの活動もしている。

 部長を務める入社六年目、営業企画課の高橋正和さん(31)は「ベテランも若手も一緒にお風呂に入るのが魅力です」と話す。

 銭湯部は二〇一五年四月に発足。二十代の社員三人と四十代の部長の男性計四人が「銭湯に活気を取り戻したい」と立ち上げた。二カ月に一度、仕事を終えた後、主に近場の銭湯で交流を深める。現在の部員は二十〜六十代の男性十人で、最年長六十五歳は取締役経験もある。

 「ここの湯はやわらかいね」「まきでわかしてるのかな」。三十分ほどつかりながら、湯の特徴を話し合う。他にも、各自が最近入った銭湯やお風呂にまつわる話題を熱く語り合う。

 同社信頼性保証室室長の川久保崇司さん(60)は「好きなお風呂で語り合えるので、うれしい」と顔をほころばせる。「裸になるから自然体に、ゆったりとした気持ちになれる」。社員同士の距離はぐっと縮まる。

 世代を超えた交流を、若手社員は会社の歴史に触れる貴重な機会ととらえる。定番商品の開発をめぐる秘話なども、当時を知る社員から直接聞いた。高橋さんは「消費者に好かれる香りを求めて六十回以上のテストを繰り返したと聞き、とても新鮮でした」と話す。

 社内では話しづらい失敗談も話題に上る。消費者の需要を見越し、開発した自信の商品が全く売れなかったという話も。「失敗の歴史があって今が成り立つ。一緒にお風呂に入っていると、そんな話が自然と出てきます」と川久保さん。

 「不思議と仕事の愚痴は出ないんです」と高橋さん。湯に入ると、浮力作用で体重の負担から解放されてリラックスできる。だから銭湯での会話が楽しくはずむのだという。

 しかし、全国の銭湯は年々減少している。家風呂の普及などで利用客が減り、商売が成り立たず廃業に追い込まれるケースが目立っているという。

 銭湯部は銭湯が姿を消していく現状に危機感を抱いている。「実は入浴剤が広まったのは銭湯から。ルーツとも言える大切な場所だからです」と高橋さんが打ち明ける。同社の前身、津村順天堂(現ツムラ)は明治時代、日本で初めて入浴剤を開発した。当時、入浴剤は銭湯で使われて広がり、その後も家風呂の普及まで入浴剤の主要な取引先は銭湯だった。

 高橋さんは「部活で先輩から学ぶ会社への思いは、仕事に生きている。銭湯を盛り上げる活動とともに、僕らもその思いを後輩につないでいきたい」と話す。

 文・寺本康弘/写真・隈崎稔樹

 (東京新聞)

<バスクリン> 東京都千代田区九段北4の1の7。1893(明治26)年創業の津村順天堂(現ツムラ)が前身。97年、日本初の入浴剤「浴剤中将湯」を発売。2008年ツムラグループから独立し、10年、社名をバスクリンに変更した。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報