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【暮らし】

<家族のこと話そう>研究への情熱冷めぬ母 評論家・常見陽平さん

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 講演や執筆で忙しかった八年前、物書きとして「行き詰まり感」がありました。そんな時、北海道の私立大で教授をしていた母から「君は才能がある。だけど勉強が足りない」と言われました。この言葉が後押しとなり、三十八歳で大学院へ進みました。

 父と母は北海道大で西洋史を学んでいるときに知り合い、大学院生のときに結婚。父は、北海道大の教員になりましたが脳腫瘍を発症。つえなしでは歩けなくなりました。私が小学校に入る頃には左半身不随で寝たきり。ただコーヒーとたばこは手放さず、本も熱心に読んでいました。

 父母と祖父母、弟の六人家族でした。母は私が生まれた頃から働き始めました。当初はいくつかの大学で非常勤講師をし、アルバイトで家庭教師や塾の夏期講習の講師もして家計を支えました。加えて父の看病、祖父の人工透析の送り迎えもしていました。

 小学三年の時、祖父がくも膜下出血で亡くなり、父も二年後に亡くなりました。母はいろいろと苦労したと思いますが、研究への情熱は常に持っていました。

 母の部屋には、本とノートの山、英文のタイプライターが置いてありました。よく夜中まで論文を書き、書き上がったら速達で送るため、朝早く郵便局へ車を走らせていたのを覚えています。

 後に母の友人に聞いた話ですが、母は私と弟を親戚の家に「遊びに行っておいで」と泊まりに行かせ、その間に研究をしていたそうです。遊園地に行ったときも私たちには「遊んでおいで」と言い、母は木陰で洋書を読んでいた姿が印象に残っています。

 一方で、とても優しく、私の知的好奇心には何から何まで応えてくれました。本だけは、欲しいといったものは全部買ってもらえました。

 母は二〇一六年、七十歳のときに大学の教授を定年退官となりました。その年の年賀状には「これから勉強三昧(ざんまい)の日々が始まります」と書いてあり、衰えない旺盛な研究意欲に驚かされました。

 私が大学の専任講師になると決まったときは、とても喜んでくれました。そして今年の誕生日のメールは「お誕生日おめでとうございます。家族を大切に、そして勉強しなさい」でした。子どものころは勉強しなさいとは言われませんでしたが、むしろ最近、言われるようになりました。教育者としての厳しさを伝えたいのでしょう。

 母が研究を続けているうちに、認められる仕事をしたいですね。偉大な母。越えられない壁です。

  聞き手・寺本康弘/写真・稲岡悟

<つねみ・ようへい> 1974年生まれ、札幌市出身。一橋大卒、同大大学院修士課程修了。リクルート、バンダイなどを経て2015年から千葉商科大専任講師。働き方評論家として執筆、講演活動をしている。「僕たちはガンダムのジムである」(日経ビジネス人文庫)、「なぜ、残業はなくならないのか」(祥伝社新書)など著書多数。

 

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