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【暮らし】

<家族のこと話そう>母のやさしさが支え 脳性まひのバイオリニスト・式町水晶さん

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 四月、デビューアルバムの発売記念コンサートを東京都内のホールで開きました。初の大舞台。約七百人から盛大な拍手が起こり、達成感が込み上げてきました。ここまでこられたのは大勢の助け、特に母のおかげです。公演後、母に「最高の母親です」と感謝すると、母はただ「ありがとう」とほほえみました。

 祖父母、母と僕の四人暮らし。僕は未熟児で生まれ、脳性まひと診断されました。立つことはできても歩けず、小中学校は車いす通学でした。目にも障害があります。

 母はヘアメークの仕事をしていましたが、学校への送迎のため、勤務を調整しやすいホームヘルパーに。車いすをやさしく押してくれ、今でも体が覚えています。

 バイオリンはリハビリによいだろうと四歳から始めました。母は「プロにしようなんて考えていなかった。社会に出て、生きていければいいとだけ思った」と言います。

 十歳のとき、バイオリニストの中西俊博先生のコンサートに行き、感激しました。「あなたは僕の憧れです」と思い切って手紙を書き、弟子入りを志願しました。先生は快く応じてくれました。

 小学校は初めは特別支援学級に入り、盲学校に通った時期もあります。五年生の時、「よくしゃべりコミュニケーションもとれる。勉強への意欲も高い」などと勧められ、普通学級に移りました。

 しかし、普通学級はとんでもなく大変で、なじめませんでした。そんなとき、医師から「失明するかも」と告げられ、打ちのめされてしまいました。いつもならやさしく励ましてくれる母もショックで、今も「ごめんね。ぎゅっと抱きしめてあげられなくて」と当時のことをわびます。母はずっと(僕のために)走ってきました。わびることなんかないのに。

 代わりに励ましてくれたのは中西先生でした。そうだ、バイオリンがあるじゃないかと、さらに打ち込みました。今のところ失明はせず、歩けるようにもなりました。

 先生のおかげで、東日本大震災の津波の流木を部材の一部に使った「津波バイオリン」を借りられることになりました。四月のコンサートでも使い、トークで紹介しました。

 CDを出し、コンサートも開催。母も「脳性まひのヴァイオリニストを育てて〜母子で奏でた希望の音色」(式町啓子著、主婦と生活社)を出版しました。名前が知られるようになり、僕と同じ悩みの人たちから「あなたは憧れです」と言われることも。最初はえっと驚いたのですが、母と二人とてもうれしかった。

 聞き手・草間俊介/写真・由木直子

<しきまち・みずき> 1996年、北海道生まれ。3歳で脳性まひ(小脳低形成)と診断。5歳で目に網膜変性症・眼球運動失調などが見つかる。4歳でバイオリン教室に通い始め、音楽の幅を広げようと10歳からポップスを始める。4月、アルバム「孤独の戦士」でメジャーデビュー。コンサートの情報は、本人の公式サイトで。ブログもつづっている。

 

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