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【暮らし】

<家族のこと話そう>父の贈り物が道開く アコーディオニスト・cobaさん

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 父は真面目一徹のサラリーマン。食品大手の営業担当で酒も飲まず、たばこも吸わず、約束の三十分前には現地に着く。とにかく誠心誠意、ぶつかっていくタイプでした。

 そういう父の性格を好ましく思う方もいて、成績を上げて昇進。同時に営業成績の悪い地域へ転勤させられる、の繰り返し。本当に頑張り屋で、会社に尽くすことを生きがいとしていました。

 唯一の趣味がアコーディオン。子どものころは貧しかったので我慢し、給料をためて買ったそうです。僕は三歳から音楽教室に通っていましたが、転勤があるからとピアノを買ってもらえず、小学生になると日曜日に学校の体育館に忍び込み、一日中ピアノを弾いているような子でした。

 四年生の時、父が誕生日にアコーディオンを買ってくれました。僕は父の弾く姿にあまり引かれていなかったのでイメージが悪く、ケースを開けて中を見ることもしませんでした。

 半年過ぎた日、先生から「朝礼で先生たちの合唱を披露する。ピアノは運動場に運べないし、何とかならないか」と相談され、はっと頭に浮かんだのがアコーディオン。「アコーディオンでよければ、僕が伴奏しますけど」と約束し、家で初めてケースを開けると、きれいなブルー。弾くと、胸元で小動物が産声を上げたような躍動感があり、これはすごい楽器だと、がらっとイメージが変わりました。

 父は僕が三歳の時に長野から新潟へ、中学二年の時、名古屋へ転勤。高校一年の時に札幌に異動になりました。父の健康を心配して、母も一緒に行ったので、僕は一人で愛知に残り、通っていた高校の近くに下宿しました。

 将来は大学を出て会社員になる、とぼんやり思っていたのですが、高校で進路指導を受けた直後、アコーディオンがとてもいとおしく思えてきた。表現力があり、すごい可能性を秘めているのに、演芸の小道具のように思われている。そのアコーディオンを弾いている時が一番自分を素直に表現できる、という思いが膨らみ、アコーディオンの道に進むことを決めました。

 両親は大反対。でも僕の決意の固さを知ると、お金を借り留学費用を工面してくれました。感謝しかないです。

 父はその後、東京へ転勤。さらに高松への辞令を機に、五十代後半で退職し、アコーディオンの輸入業を始めました。会社勤めで培った、誠心誠意尽くせば必ずお客さまに伝わるという実直な営業で、とんでもない数のアコーディオンを売りました。五年前、がんで亡くなりましたが、九十歳の母は今も、時々、父に話しかけているようです。

 聞き手・砂本紅年/写真・高嶋ちぐさ

<こば> 1959年、長野市生まれ。本名・小林靖宏。イタリアのルチアーノ・ファンチェルリ音楽院アコーディオン科を首席卒業。数々の国際コンクールで優勝し、世界的に活躍。雅楽師の東儀秀樹氏、バイオリニストの古澤巌氏とのユニットTFC55の公演が8月4日、東京都葛飾区で、11月28、29の両日、同千代田区である。

 

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