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【暮らし】

<この夏 食の風景>(4)神戸・日本初のコーヒー店

日本初のコーヒー店「放香堂加琲」。右は宇治茶販売の「放香堂」

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 ドアを開けると、コーヒーの香ばしい香りが漂ってきた。時折、ゴリゴリと豆をひく音が店内に響く。

 神戸市の元町商店街にある「放香堂加琲(ほうこうどうコーヒー)」。元々は、京都で自家茶園を経営する宇治茶の卸売会社「放香堂」が一八六七年、翌年の神戸港開港に合わせて日本茶を輸出するために構えた商館だ。お茶の輸出と同時にコーヒーを輸入。近くに開いた小売店舗内の一角に七八年、コーヒーを飲めるスペースを設けたのが喫茶店の始まりだ。国内初で、同年十二月二十六日付の読売新聞に「焦製飲料コフイー 弊店にて御飲用御自由」などと記された広告記事が掲載されている。

 「とにかく、まず飲んでみてください」。店長の武田昭雄さん(30)が、開店当時と同じインド産の豆を使い、石臼でひく当時そのままの製法で入れた「麟太郎」(一杯四百八十円、税別)を出してくれた。三年前に復刻させ、江戸時代、この港に海軍操練所を開いた幕末の志士・勝海舟の幼名から名前を付けた。目当ての観光客が列をなす土日は、一日百杯にもなる。

 臼に豆を載せて回すと、ゴリゴリという音とともに粉が落ちてくる。石の重みだけでひくため、豆に熱が伝わらず、本来の香りが損なわれない。豆の断面がいびつになる分「味に広がりが出る」そうだ。

 出てきた粉と湯を金属フィルターで押し沈めるフレンチプレス式で抽出。油分がそのまま抽出され、豆そのものの味が楽しめる。飲むと、まろやかでコクがあり、スッキリとした苦味が残った。

 店は、神戸港開港直後に設けられた外国人居留地の外れにあり、開店当初、コーヒーを飲む客の大半は外国人だった。店内に飾られた幅三メートルほどの木版画のレプリカパネルには、外国人と日本人が入り交じって店を訪れる当時の様子が描かれている。

 第二次世界大戦中、コーヒー豆の輸入が規制されたが、戦後、輸出入が再開されると大量のコーヒー豆が入るようになり、店内だけでなく、店の前でもむしろの上で焙煎(ばいせん)した豆を冷ましていた。珍しい香りに誘われ、多くの人たちが集まったという。高価だったコーヒーは低価格で提供されるようになり、次第に庶民の間でも広まっていった。

 一九九五年一月。神戸港の歴史とかさなるように歩んできた放香堂加琲を阪神大震災が襲う。激震で倉庫がつぶれ、地域一帯はライフラインが寸断された。水もガスも電気も使えず、商店街は凍えながら歩く被災市民であふれかえった。

 命綱となったのは、被災を逃れた自社タンク。蛇口をひねっても全く水が出ない状況の中、タンクにためてあった一トンの水は炊き出しに使われ、地域住民に温かいお茶が振る舞われた。「寒さにふるえながら歩く人たちに、少しでも温まってもらいたかった」。放香堂社長の岩端敬子さん(76)は振り返る。

 高齢化が進み、戦前は人があふれていた港町は、シャッターが閉まったままの店舗が目立つようになった。時代が大きく変わる中で、開店当初と変わらぬ味を出し続ける。「歴史と伝統の重みを感じている。地域に根差しつつ、新規の人たちにも純喫茶の良さを広めたい」。武田さんが力を込めた。

 文・花井康子/写真・伊藤遼

  (中日新聞)

 

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