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【暮らし】

<家族のこと話そう>亡き父の足跡を追って 歌手・女優 中川翔子さん

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 父(ミュージシャン、俳優の中川勝彦さん)は三十二歳の時に白血病で他界しました。病気になった当時、私は八歳か九歳。骨髄移植という方法があることを母や祖母から聞いて「嫌だ、怖い」と言っていました。父は「小さな翔子に負担はかけられない」と話していたそうです。でも、私がドナー(提供者)になっていたら助けられたのかもしれない。もやもやした気持ちをずっと抱えていました。

 そんな父との「共演」が、七月から放映されているACジャパンの骨髄バンク支援キャンペーンのCMでかないました。亡くなった父の年齢を迎えたタイミングでお話をいただき、父が連れてきてくれたCMだと感じました。一人でも多くドナーの登録者が増え、誰かの未来が変わるきっかけになればうれしい。父も報われると思うし、私自身にとっても、できることがあると気付く機会になりました。

 父はビジュアル系の先駆けと言われますが、家ではげたを履くようなバンカラな人でした。幼稚園の運動会や父母参観で先生たちが「キャー」と騒いでいるのを不思議な気持ちで見ていましたね。

 絵を描いたり、漫画を読んだりするのが好きなのは父の影響です。五歳のころ、「これを読まないとちゃんとした大人になれないぞ」と「ゲゲゲの鬼太郎」全巻を買ってきました。父と母と三人で手をつなぎ、古本屋に行った時は「美少女戦士セーラームーン」を買ってくれました。

 一度退院し、家に帰ってきた時のことです。いつも優しくニコニコしていた父が、ベッドの上で必死に絵本を描いていました。「鳥とかアンモナイトもいるけど翔子も描く?」と聞いてくれた。父は絵を描くのが好きでしたが、あの時必死に描いていたのは、生きた証しを残したかったからだと後で分かりました。

 思春期のころは、父がいなくなったせいで母が悲しんでいると、勝手に反抗心をぶつけていました。父と同じ仕事には就かないと思っていたのに、結局は芸能界デビュー。歌うこと、絵を描くことなどまるで足跡を追っているかのようです。初のコンサートは父が歌っていた渋谷公会堂でしたし。「お父さんと一緒に仕事をしていた」と話してくださる方がたくさんいることにも驚いています。

 やりたいことが軸にあって自分の道が開かれていく。やりたいことは今もたくさんあります。父もそうだったと思うし、だからこそもっと生きたかったはず。そのスタイルを私も通していきたい。両親から受け継いだDNAをここで絶やさないよう、子どももほしいなと思っています。

  聞き手・小中寿美/写真・池田まみ

<なかがわ・しょうこ> 1985年、東京都生まれ。2004年に始めた「しょこたん☆ぶろぐ」が話題となり、06年に歌手デビュー。11年にはディズニー長編アニメ「塔の上のラプンツェル」の吹き替え版で主人公役。15年、NHK連続テレビ小説「まれ」で連続ドラマに初出演。イラストレーターや、25年大阪万博誘致サポーターも務める。

 

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