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【暮らし】

<家族のこと話そう>「バランスをとれ」肝に 台湾・駐日代表 謝長廷さん

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 父は台北で漢方医をしていました。腕はよく、お金に困っている患者から治療費も取らず、慕われていました。こうした患者は後で、鶏や魚を持ってお礼に来て、父は喜んでいました。弱者に寄り添う父の姿を見て育ったのです。

 東洋医学では体のバランスを重視し、父も「バランスをとれ」が口癖でした。私は中学から体操に夢中になり台湾の全国大会でつり輪の一位に輝いたことも。でも勉強がおろそかになり、中三で留年するはめに。父から「体操は趣味だろ。何で趣味と勉強のバランスをとらなかった」と、こっぴどく怒られました。

 台湾大で弁護士、裁判官の資格を取得しました。留学したくて、第二外国語で日本語を学んだ縁から、日本政府の国費留学の試験を受け合格しました。父は「先進的な知識を学び、台湾に帰って仕事に生かすように」と送り出してくれ、京都大大学院法学研究科に入りました。

 京大は自由、民主、在野の精神があふれ、(独裁政権下で育った)私は日本の自由な雰囲気に衝撃を受けました。指導教官の加藤新平教授はもちろん、(他の大学ながら)法学者の渡辺洋三さんらの考えに魅了されました。

 留学中の一九七六年、父ががんで倒れ、日本から病院に駆けつけると、父は「大丈夫。早く(日本に)戻って学位を取れ」と言います。病状は重く、ほぼ一カ月後に「母さんの面倒をよろしく」と言い残して亡くなりました。

 留学を終え、台北で弁護士の看板を掲げました。日本で学んだことは「法律は弱者のために存在する」でしょうか。弱者を助けよう。父もそうしていたじゃないか。いつしか人権派の弁護士と知られるようになりました。

 独裁政権が民主活動家を弾圧した七九年の「美麗島事件」では、逮捕された活動家から軍事法廷での弁護を依頼され、引き受けました。当時は政府を批判すると、テロに遭う危険があり命がけでした。これをきっかけに政界入りしました。ただ政策は偏らないようにして、父の言う「バランスをとる」を心掛けてきたつもりです。

 着任した二〇一六年六月から、台日間の地方交流に力を入れ、四十七都道府県をすべて訪れました。新たに台日の五十二組の県市が姉妹都市など提携協定を結び、累計で百十組に。また台日の地方議員の交流会を台湾で開催し、日本から三百二十三人の地方議員が参加しました。

 母も亡くなり、父母が眠る墓を毎年、墓参りします。駐日代表になった私を、父母は誇りに思ってくれているでしょう。もっと頑張れと励まされてもいます。

 聞き手・草間俊介/写真・松崎浩一

<しゃ・ちょうてい> 台北駐日経済文化代表処代表(駐日大使に相当)。与党の民主進歩党(民進党)の重鎮として知られる。1946年台北市生まれ。70年台湾大卒。72〜76年京都大大学院法学研究科に留学した(博士課程修了)。台北市議、高雄市長、行政院長(首相に相当)などを歴任。2016年6月から現職。

 

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