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【暮らし】

100年使えるレシピを 「楽しくマイごはん」連載を終了 料理家・伊藤華づ枝さんに聞く

連載が終わり「まだ50年、続けたかった」と笑う伊藤華づ枝さん=名古屋市東区で

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 本紙生活面で2009年に連載が始まった「楽しくマイごはん」が9月末で終了した。9年半で紹介されたレシピは約500点。健康や家計を考えつつ、どんな世代でも、目でも舌でも楽しめるメニューを提案し続けた名古屋市の料理研究家伊藤華づ枝さん(67)に、心境や思い出深い料理を聞いた。 (聞き手・出口有紀)

 −連載を終えた気持ちは。

 よく読者らから「料理のレシピに困ることはないの?」と聞かれますが、アイデアに困ることはありませんでした。むしろ、まだまだ教えたいくらい。五十年ぐらいは続けられそうです(笑い)。

 −レシピを考える時に心掛けていたことは。

 季節感を重視し、お正月の前にはおせちにも使える料理、三月や四月は卒業や入学、就職などがあるので、お祝い向けの料理を考えていました。できるだけ、どこでも手に入る食材を使いつつ、筑前煮にはかわいらしい色合いの手まり麩(ふ)を入れたり、華やいだ食卓にしたいとの思いも込めました。

 今は、何でもだしのもとや合わせ調味料を使いますが、私はほとんど使わず手作りにこだわりました。例えば、紙面でも紹介した「冷やし中華」は、具材の鶏ささ身のゆで汁でたれを作ります。紹介したレシピだと、甘すぎたり、酸っぱすぎたりしません。とはいえ、調味料が複雑になりすぎると作りたくなくなるので、シンプルな配合にして、祖父母や父母、孫の三世代、百年使えるレシピにしたいと思っています。

 −料理研究家を志したきっかけは。

 私が生まれて三カ月後に父が亡くなり、主婦だった母は、三重県内の農家の実家に戻り、姉と私を育てました。母は口癖のように「誰かに寄り掛かって生きる人生を送らないで。手に職をつけて」と言っていました。短大で管理栄養士の資格を取り、名古屋市の栄中日文化センターの料理教室の助手として経験を積んだ後に講師となり、その後、ハンナプロジェクトを設立し独立しました。

 −食に関心があったのは、伊藤さんの母親の影響ですか。

 母はカレーのルーも小麦粉から炒めて手作りしていました。父が、薬を調合し販売する薬種商をしていた影響で、医薬品にも用いられる香辛料を上手に使い、本格的でした。当時の田舎では珍しい味で、名古屋での生活が忘れられなかったのでしょう。小学校の運動会でも張り切ってお弁当を作ってくれ、ひとり親でも寂しいとは思わなかったです。一生懸命な母を思い出し、連載でも、おにぎり弁当のレシピを載せました。

 私の原点もお弁当です。結婚、出産後もずっと働いていたので、子どもの面倒を十分に見られないとの負い目がありました。だから、娘が中学から高校まで毎日弁当はしっかり作ろうと、ご飯のほかに肉や魚、野菜などおかず五品、フルーツかデザートを必ず入れていました。そのおかげか、娘は高校卒業まで一日も休むことはありませんでした。料理は体だけでなく、心も作ると実感しました。

 −今後はどのようなことを伝えたいですか。

 親から料理を習っていない人が多くなった一方、私の教室では、梅干しやらっきょうなど保存食を作る講座が人気です。市販品ではなく、本物を食べたいという人が増えてきたと感じています。受講生の中には私が漬けた梅干しを食べることで、正しい味が分かり、感動する人もいます。なくなりつつある家庭の味を広めたいと思っています。

<いとう・かづえ> 1951年、名古屋市生まれ。料理研究家、管理栄養士。79年から同市の栄中日文化センター講師。99年に食や栄養、健康に関する事業を展開するプロダクション「ハンナプロジェクト」を設立。今年4月に同市内に料理教室を開いた。著書に、連載したレシピから103点を紹介した「家庭の幸せレシピ」(中日新聞社)など。

 

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