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【暮らし】

<家族のこと話そう>逆境に負けぬ父が手本 二胡奏者 ウェイウェイ・ウーさん

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 父(79)は作曲家で、私の音楽の師でもあります。中国の江蘇省無錫(むしゃく)市に生まれ、祖父の商売で十代で上海へ。音楽が好きで、さまざまな楽器を習得し、当時の歌謡曲やミュージカルなどを手掛ける作曲家として活躍しました。

 父の二十代後半は、文化大革命(一九六六〜七六年)の時代。文化人の父は工場で働かされ、大変な思いをしたようです。工場の曲を作れと言われ、みんなが楽しく働けるようワルツを作曲したら、資本主義的と批判されたり、いじめられたり。母(76)はそんな父と工場で出会い、父を守ってあげたいと思ったそうです。私のオリジナル曲「ラバーズ・イン・レッド」(赤い時代の恋人)は、両親を思って作りました。

 父は家でもいろんな楽器を演奏し、五歳だった私はバイオリンの音色のとりこになりました。当時は西洋の楽器として禁じられ、売っている店はありませんでした。どうしても弾きたがった私に、父と父の友人が手作りしてくれました。それが私にとって、人生最初の楽器。すごくうれしかったです。

 父は夜中に工場で働き、昼間は私の練習に付き添いました。家では厚みのある生地のカーテンを二重にしました。見つかって、刑務所に入る人もいたのです。うちは近所に恵まれ、みんな私がバイオリンを弾いているのを知っていましたが、密告する人はいませんでした。それでも文革が終わってしばらくは、いつまたダメと言われるか分からない不安があり、練習で最初に弾く曲も、必ず毛沢東をたたえる歌でした。

 このように逆境でも夢をあきらめないことは、父が教えてくれました。普段は無口ですが、今でも口癖は「人がやっていることをまねする必要はない。人がやっていないことを考えなさい」。私も来日して苦労しました。ダメと言われても、もしかしたら何か方法があるかも、と考えられたのは父のおかげです。

 十代の時、上海テレビの家族歌合戦という番組に出たのは、楽しい思い出です。各家族が歌や演奏を披露し、市民投票による予選などを経て、大みそかに決戦を中継するのです。当時はテレビ局が一つしかなく、視聴率は97%。シンガー・ソングライターの妹が歌い、両親と私が楽器を担当。第一回大会とその翌年、連続優勝し、妹のデビューにもつながりました。

 母はずっと父のマネジャーのような仕事を続けました。みんな音楽中心なので、わが家の現実的な生活を支えるのは母です。父は今、新しいアルバムを出したいと、過去の作品を整理中です。集大成となるよう願っています。

  聞き手・砂本紅年/写真・淡路久喜

 1968年、中国・上海生まれ。上海戯曲学校で二胡とバイオリンを専攻。91年に来日し、以後活動拠点を日本に。二胡演奏の独自スタイルを確立した。12月17日、生誕50周年記念ライブを日本橋三井ホール(東京都)で開く。「情熱大陸」などを演奏予定。(問)キョードー東京=ナビダイヤル(0570)550799 

 

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