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【首都圏】

アイヌ神謡集 知里幸恵と国語学者・金田一京助 父の遺稿 40年経て出版

父親の本を手にする結太郎さん=都内で(須知結太郎さん提供)

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 「アイヌ神謡集」で知られる知里幸恵(ちりゆきえ)の生涯と著名な国語学者金田一京助との交流を描いた小説「北の詩(うた)と人」が岩手日報社から出版された。作者は故須知徳平(本名・茂)さんで、今は知る人は少ないが、吉川英治賞(1963年、毎日新聞社主催)の第1回受賞者。長男の東京都立高校教諭須知結太郎さん(52)が「出版を望んでいた父の夢を実現したい」と働き掛け、40年を経て実現した。 (小寺勝美)

 作品は七七年に岩手日報に連載された。幸恵の生い立ちを描き、若いながらユーカラに詳しかった背景に迫り、家族との別れや、金田一との出会いとその師弟愛を描いていく。「じわじわと味が出てくる地味な文体。児童向けやラジオドラマだけでなく、こんな小説も書くのかと思った」と結太郎さん。

 徳平さんは二一年、岩手県に生まれた。通った旧制盛岡中学には、OBに石川啄木や金田一など文学関係者が多く、在学中に同人誌を出すなど有形無形の影響を受けたという。卒業後は旧満州に渡った後、国学院大学専門部で古代文学を学ぶ。戦後は岩手県や北海道で中学、高校の教師を務め、五六年に文筆活動のため上京、六二年に児童向けミステリー「ミルナの座敷」で第三回講談社児童文学新人賞を受賞した。

 翌年には中世の三陸を舞台に閉ざされた村を描いた「春来る鬼」で吉川英治賞を受賞、原稿依頼が舞い込むようになって、人気作家への道が開かれたと思われた。「そのころ私が生まれたのですが、体が弱く面倒見が大変で依頼も断ったのです」(結太郎さん)。このため、本格的な作家生活は短く、その後は児童向けの読み物やラジオドラマの脚本を書いたり、文学雑誌の編集委員を務めたりする傍ら、盛岡大学の教員となり二〇〇九年に亡くなった。

 徳平さんは上京後間もなく、先輩の金田一が国学院で講師をしていた縁で、付き合いが始まった。金田一からアイヌ文化を守るための会に度々誘われ、交流は長く続いた。あるとき、幸恵との交流を小説にしたいと申し出ると、金田一は「君がやってくれるのか」と涙を流して喜び、幸恵のノートや日記を提供した。徳平さんはめい二人に手伝ってもらい全てを筆写したという。「本の前書きにもあるように、父は実際に現地を歩き、預かった資料を元に小説を書きました」と結太郎さん。

 北海道登別市にある「知里幸恵 銀のしずく記念館」館長で、幸恵のめいの横山むつみさんは「とても重みがあってうれしい」と出版を高く評価。「幸恵の思いと志が作品の背骨の部分にしっかりと描写され、読み終わって心地よい気分になりました。後半に幸恵直筆の手紙や日記文が引用されていて、改めて幸恵を身近に感じられる役割を果たしています」と話す。

 

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