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【首都圏】

<起きて半畳、寝て一畳 元記者の僧侶修行録> (5)厳しい作法、食事も修行

食事のときに使う応量器、ふだんは入れ子状にしまう(右側)

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 「あっ、しまった」と心の中で叫んだが遅かった。修行を始めて一カ月ほどした昨年十一月の朝、僧堂で朝の粥(かゆ)を食べるとき、食事を盛る器(応量器(おうりょうき))が床に落ちる音が「カラーン」と、静かな堂内に響いた。冷たい視線が自分に集まるのを感じた。

 こうした失敗をすると、僧堂に安置されている文殊菩薩(ぼさつ)像の前で、ひざと頭を床に着けるお拝という姿勢を何回か繰り返して悔いる。懺謝(さんじゃ)と呼ばれている。私も小食(朝食)後、一人で懺謝した。「集中して応量器を扱うように」と注意も受けた。

 応量器は粥やご飯を盛る丸い頭鉢(ずはつ)と呼ばれる器の中に、おかずなどをのせる器・皿が入れ子状にきちんと収まっている。

 食べ物に感謝していただく食事は大切な修行の一つ。器の取り出し方や並べ順、箸の置き方に至るまで、作法が厳格に決まっている。応量器を並べたり、食べるときは音を立ててはいけない。

 どうしてこんなに神経を使って食べるのか。

 厳格な作法は「行為によって心を育んでいくことに目的がある」と教えられた。「がちがちの作法で応量器を使って食べる理由もここにある。感謝を体で分からせるんです」と聞いた。感謝を体で理解する。大切なことを学んだと思った。

 中食(ちゅうじき)と呼ぶ昼食は午前十一時、薬石(やくせき)という晩ご飯は午後五時が通常だった。昼と夜は応量器を使わず、僧堂に隣接し、講堂と呼ぶ畳の広間で正座して食べた。器を床に落とす心配はなかったが、私語は厳禁だった。

 (太平寺徒弟・吉田昌平)

    ◆

 本紙記者を五十歳で退職し、覚王山日泰寺(名古屋市)で修行した体験録です。次回は十三日掲載予定です。

 

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