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【首都圏】

首都直下地震に備え 教訓生かして 26日に大震災の被災体験を聞く会

木造住宅が密集する東京都墨田区の曳舟地区=本社ヘリ「おおづる」から

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 東京新聞は二十六日、東北のブロック紙・河北新報社(仙台市)と共催で、「東日本大震災を忘れない〜被災体験を聞く会」を東京都墨田区の曳舟文化センターで開く。震災の教訓を東京でも共有し、首都直下地震から命と地域を守る備えに生かす。当日、自らの体験を伝えてもらう四人の語り部を紹介する。 (上田千秋、石原真樹)

◆4人の語り部紹介

 語り部となるのは、宮城県石巻市立門脇(かどのわき)小学校(二〇一五年三月に閉校)の元校長鈴木洋子さん(66)、同県気仙沼市の会社員藤本考志さん(39)、石巻市立大川小に通っていた妹を津波で亡くした東京都練馬区の大学生佐藤そのみさん(20)。今回は阪神大震災で弟二人を失った神戸市長田区の介護施設職員柴田大輔さん(29)も参加し、思いを話す。

 聞く会は、木造住宅密集地域が広がる墨田区曳舟地区で、住民らが語り部や専門家と共に防災について話し合う「東京・墨田むすび塾」の一環。二十七日に行われるむすび塾では最初に避難訓練を実施する。東京湾を震源とするマグニチュード(M)7・3、震度6強の地震により火災が発生し、同地区に延焼の恐れがあるとの想定で、保育園児と地元町会役員らが一緒になって避難場所へ向かう。

 聞く会は午後六時半〜同八時四十五分。入場無料で申し込み不要。問い合わせは東京新聞社会部=電03(6910)2260=へ。(定員を超えた場合、入場をお断りすることがあります)

◆「日常の生活指導」徹底を 石巻市 元門脇小学校長・鈴木洋子さん(66)

 「今まで体験したことのないような揺れ」(鈴木さん)が襲ったのは、定年退職を二十日後に控えた日のことだった。大津波警報発令を聞き二百二十四人の児童、教職員や保護者、近所の人と共に、すぐに校舎裏の日和山(ひよりやま)公園に避難した。

 震災前から、教職員には「日常の生活指導」を徹底するよう繰り返し説いていた。(1)廊下は静かに歩く(2)整列は素早く、整然と(3)先生の話は静かに聞く−。「普段やれないのに、非常時にパニックにならずに行動できるわけがないですから」

 学校にいた児童らが全員無事だった一方で、下校していた七人が命を落とした。「日ごろからもっと強く、津波の危険性を訴えていたら」との思いは消えず、毎朝、七人の名前を呼びながら仏壇に手を合わせる。

 津波に襲われ、火災で延焼した校舎の一部は、震災遺構として保存されることが決まった。自身は定年退職後、「あの時の経験を伝えるのが私の役割」と考え全国で講演をし、地元でも語り部として活動を続ける。「自分で判断し、行動できる子を育ててほしい」。それが今の願いだ。

◆保育所の子抱き避難所へ  気仙沼市 会社員・藤本考志さん(39)

 「何を手伝えばいいですか」。震災当日、大きな揺れが収まって間もなく、体は自然にはす向かいの一景島(いっけいじま)保育所に向かっていた。保育所は当時、お昼寝の時間。ゼロ〜六歳児七十一人が寝息を立てていた。女性十二人の職員だけで、速やかに近くの公民館に避難させるのは難しい。

 同僚社員と二人、はぐれる子がいないか目を配りながら移動を手伝い、子どもを抱きかかえて公民館三階まで上がった。

 とっさに行動できたのには理由がある。同保育所は避難訓練の際、周辺の会社にも参加を呼び掛けていた。勤務先の水産加工会社「足利本店」にも声が掛かり、藤本さんも訓練に出たことがあった。

 「大人の男性がいないときついだろなと感じた。その経験がなかったら、保育所には駆け付けていなかったかもしれない」と振り返り、「いくら近所だって、一度も行ったことがなければどんな人がいて、何が必要かなんて分からない。日ごろのコミュニケーションが大切」と強調した。

◆想定外はどんな場所でも 練馬区 大学生・佐藤そのみさん(20)

 大川小は北上川沿いに位置し、遡上(そじょう)してきた津波にのまれて児童七十四人と教員十人が犠牲になった。六年生だった妹みずほさん=当時(12)=もその一人だ。

 地震発生時は、同小から約五キロ離れた自宅にいた。揺れで本や食器が散乱し、室内はぐちゃぐちゃになった。夜にラジオで「大川小が孤立した」と流れたが、「先生と一緒にいるから大丈夫」と心配しなかった。

 二日後、おなかをすかせて待っているはずの妹を迎えに行くため、食料と毛布を車に積んで母と一緒に向かう途中で通行止めになり、たくさんの人が学校の方向を見て泣いていた。知人に「みずほちゃん、(遺体が)上がったよ」と言われ、初めて妹の死を知った。

 父敏郎さん(53)は震災後に中学教員を辞め、遺族、元教員の両方の立場から命の大切さを伝えるため各地を回る。その父を目標に、自身も講演などで悲しみを語ってきた。今回は防災の観点からも話す。

 学校から川は見えず、教員も住民も津波が来るとは思っていなかった。「想定外はどんな場所でも起こる。安心しきっては駄目だと伝えたい」

◆2階落下 身動き取れず   神戸市長田区 介護施設職員・柴田大輔さん(29) 

 両親と弟二人との平穏な暮らしが一変したのは、小学一年、七歳の時だった。家族五人で寝ていた自宅の部屋では家具が倒れ、二階部分が落下して身動きできなくなった。本人、父、母の順に助け出されて間もなく、自宅が火事に。一週間後、弟の宏亮(ひろあき)ちゃん=当時(3つ)=と知幸ちゃん=同(1つ)=が焼け跡から見つかり、近くには宏亮ちゃんが大好きだった仮面ライダーの人形が落ちていた。

 当時のつらい記憶や、引っ越し続きで転校を余儀なくされ勉強についていけなくなったことから、一時不登校に。小学校の先生や仮設住宅を訪れる大学生らとの交流で立ち直り、ボランティア活動の大切さを実感。十八歳の時に消防団に入った。

 昨年九月には、阪神大震災の経験を伝えるグループ「語り部KOBE1995」のメンバーに声を掛けられ、語り部活動を始めた。「聞く会」が開かれる墨田区は古里と同様、木造住宅が密集する地域。「隣同士の付き合いや地域全体の絆…。災害時に必要なことはたくさんある」と訴える。

 

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