東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 首都圏 > 記事一覧 > 11月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【首都圏】

<ニュース読者発>看護婦2人、つながる記憶 中国の陸軍病院で同時期勤務

太原陸軍病院時代の戸田ノブさんの画像を見る久米正子さん=佐賀市の自宅で

写真

 日本赤十字社の元従軍看護婦、久米正子さん(95)=佐賀市、旧姓公門=を今年5月に本紙で紹介したところ、陸軍看護婦の研究をしている千葉市の山野井孝有(たかゆき)さん(85)から「同時期に同じ病院で働いていた従軍看護婦が神奈川県にいて、久米さんの名前を記憶している」と本紙に連絡があった。久米さんもこの看護婦について「覚えています」。1941(昭和16)年12月8日の日米開戦を挟んだ戦地での2人の記憶がつながった。 (加藤行平)

 記事は五月十三日夕刊で、久米さんが四一年四月に従軍看護婦として中国・山西省の太原(たいげん)陸軍病院に赴任したことなどを報じた。

 日赤とは別に陸軍看護婦として雇用された戸田ノブさん(98)=神奈川県南足柄市=の体験を聞いていた山野井さんは、久米さんの太原陸軍病院での勤務時期が、戸田さんの同病院での勤務時期と重なることに気づき、戸田さんに伝えた。

 戸田さんは四一年四月に太原陸軍病院に赴任した。戸田さんが保存していた病院での写真は、久米さんの脳裏に残っていた現地の様子と一致。二人は隣り合わせの病棟に勤務しており、顔見知りだったという。久米さんは四三年五月、戸田さんはその五カ月後に同病院勤務を終えて帰国した。

 戸田さんは久米さんの旧姓が「公門」だったことを思い出し、「親切に指導してもらった記憶がある」と振り返った。久米さんも「戸田さんはとてもやさしい方だった」と話す。病院での生活や、病院で亡くなった兵士の遺体を焼いた記憶も重なった。

久米さんとの思い出を語る戸田ノブさん=神奈川県南足柄市で

写真

 九四年には、神奈川・箱根で太原陸軍病院関係者の懇親会が開かれ、二人は会場ですれ違ったことを覚えているが、言葉を交わすことはなかった。

 遠く離れた地に暮らす二人は、ともに老齢で遠出して再会することは難しい。それでも、日中戦争から太平洋戦争へと向かう激動の時代を共に生きた二人の思いはつながる。久米さんは「太原の病院で一緒だった方は大半が亡くなられた。戸田さんのことが分かりうれしい」と喜び、戸田さんも「えりの記章は違ったが、同じ白衣、帽子姿で看護に当たった。お元気で何より」とほほ笑んだ。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報