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【首都圏】

<しみん発>消費者と歩む地域農業 那須山麓土の会・五月女昌巳さん(72)

交流会に参加して農作業を体験する子どもたち=今年5月、栃木県大田原市で(五月女さん提供)

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 消費者とのコミュニケーションを通して地域農業や文化を伝承する−。「那須山麓土の会」は親子で農業を体験する交流会を毎月開催している。代表の五月女昌巳さん(72)=栃木県大田原市=は1960年代に米国で農業研修を受け、家族主体の大規模経営を学んだ。自身の農場にはアフリカなど世界の農業関係者が視察に訪れた。そうした国際交流の経験から「消費者と農家が一緒に食育について考える場を提供したい」と農村文化の発信に力を入れている。 (土田修)

 コシヒカリの精米に「白雪姫と七人のこびとたち」と名前を付けた。その米袋は塗り絵になっている。塗り絵に色を塗って郵送すると交流会に親子で招待される。「消費者に農家と稲作の実情を知ってもらおうと、農作業を体験する交流会を始めました。塗り絵は消費者を農家に連れ出す作戦です。精米の名前は、一般に農家には家族を含めて七人ほどの仲間がいることから付けました」と五月女さんは話す。

 交流会は九一年から毎月開催してきた。田植えや稲刈り、泥んこ遊び、魚のつかみどりなどを企画。納屋にはスキやクワ、脱穀用具などを展示する。交流会ではまずは子どもたちにナイフを持たせ竹で箸や食器を作ってもらう。「危ない」と顔をしかめる母親もいるが、五月女さんは「そんなこと言ってるとご飯が食べられないよ」と笑い飛ばすことにしている。「最近の子はナイフの使い方を知らない。危ないことを遠ざけるだけでは教育にならない」

 農家の長男に生まれ、小学校四年でニワトリを育てて街の商店に買ってもらった。それが農業で収入を得る最初の体験になった。中学三年で和牛飼育を始め、高校卒業までに百六十万円の貯金ができた。そのお金で当時まだ珍しかった外国製トラクターを購入した。一九六八年には国際農友会の研修生として一年間、米国アイオワ州の養豚農家で働いた。

 二〇〇八年には那須塩原市内に郷土文化を発信する拠点となる直売店「那須ロコマーケット」を農家有志と開設。「戦後日本は米国の背中を追い掛けてきたが、地域振興や文化を重視した欧州型の経済を考える時期に来ている」。消費者と歩んできた経験が地域農業、地域文化を伝承する取り組みとして花開こうとしている。

<そうとめ・まさみ> 1945年、栃木県大田原市生まれ。県立那須農業(現・那須拓陽)高校卒。63年に就農し、機械の共同利用や標高差を利用した省力・低コストの大規模稲作経営を確立。大日本農会顧問、国際農業者交流協会理事。info@tsuchinokai.co.jp

 

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