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【首都圏】

<談論誘発>国民に主体すり替えるな 憲法の精神順守訴えた田中正造

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◆白鴎大学法学部教授・三浦顕一郎(みうらけんいちろう)氏

 先の衆院選で自民党の公約の一つが憲法改正。参院憲法審査会でも議論が始まった。憲法とは、何のためにあるのか、どうあるべきか。明治時代、足尾銅山(栃木県)鉱毒問題(事件)解決に奔走、生涯をささげた田中正造の「憲法観」を取り上げ、ひとつの考え方を示したい。

 一八四一年に現在の同県佐野市に生まれた正造が、闘いのよりどころにしたのは、大日本帝国憲法。彼はその憲法を「今日の憲法を刀にたとえれば、村正のごとく、正宗のごとき、よい憲法といわねばならぬ」と高く評価した。

 彼が憲法を評価したのは、人民が「切り捨て」にされない社会を憲法が保障したからである。「旧幕時代には百姓や町人が侍に無礼があったとして切り捨てられたが、今のように憲法の規定がある以上、切り捨てにされて決して勘弁するものでない」と。

 同九一年夏、鉱毒問題を知った衆院議員の正造は同年暮れの第二議会で、問題を取り上げた。「大日本帝国憲法第二七条に『日本臣民はその所有権を侵されることなし』とあるにもかかわらず、政府は被害地農民の所有権が侵害されるのを放置している」と政府を非難。被害地の出生者数が全国平均より少なく死亡者数が多いことを知ると「被害地に憲法なし」と嘆き、「請願の要旨は憲法の保護を受けるの一か条を以て足る」と被害地に檄(げき)を飛ばし、憲法に保障された権利の保護を訴えて世論喚起をはかった。

 下流被害地の谷中村復活を期する晩年の闘いでは、政府が「憲法の精神を破壊し、憲法の正条を蹂躙(じゅうりん)して人民の所有居住を害し、国家の基礎である自治の団体を破壊している」と非難。「われわれは死を賭して憲法を守って、谷中村を動かない。そのわけは、憲法がなければどこに行っても安全な場所がないからである。われわれは憲法の精神を守るものである」と闘い続けた。正造の闘いもそうであったように、国家権力が国民の権利を守らなかったことは、現代に至るまでしばしば繰り返されている。

 憲法とは本来、われわれの生命や財産、権利を守るために存在するものであろう。誰が誰に対し守るのか。政府が国民に対し守ることを約束するのである。それが正造の言う憲法の精神であると私は考える。

 昨今の憲法改正案に見られるように、権利を尊重する主体が政府でなく国民にすり替えられ、公益や公の秩序のために個人の権利が軽々しく制約されるようなら、それは憲法の精神をないがしろにするものではなかろうか。

     ◇

 1967年生まれ。専門は日本政治史・政治思想史。近著に「田中正造と足尾鉱毒問題」(有志舎)

<足尾銅山鉱毒問題(事件)> 1890年、栃木県北西部の足尾銅山から流れ出た鉱毒で下流域の稲が腐り、桑が枯れるなど大きな被害が出た。当時、富国強兵に進む日本にとって銅は重要な産業。田中正造は衆院議員時代を含め22年間、明治政府や鉱山の責任を追及。この間、渡良瀬川沿いの住民には「毒を含んだ米や大豆を食べてはならない」と忠告。下流部の「谷中村」で9年間、住民と共に闘った。同村は鉱毒の拡散を防ぐため遊水池にされ、住民は周辺や北海道に集団移住した。同じ国策事業から、福島原発事故の被害と重なるとされている。

 

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