東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 首都圏 > 記事一覧 > 1月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【首都圏】

小笠原諸島 返還50年 自然の楽園に残る戦跡

色とりどりのサンゴが豊かな生態系を育む=兄島沖で

写真

 今年六月、米国から日本に返還されて五十年を迎える小笠原諸島。独自の生態系を擁する世界自然遺産の島として知られる一方、戦争に翻弄(ほんろう)されるなど複雑な歴史を持つ。

小笠原に入植した先祖の墓を訪れたセーボレー孝さん=父島で

写真

 一九六八年六月二十六日。小笠原の中心、父島の浜辺で、十歳だったセーボレー孝さん(60)は返還式典を見つめていた。戦後続いた米軍による統治が終わり、なじんできた星条旗が降ろされ、日の丸が掲げられる。「日本になったんだ」と衝撃を受けた。

 孝さんは、一八三〇年、日本人に先駆け小笠原に入植したと伝えられる米国人ナサニエル・セーボレーの子孫。五人の子どもに恵まれ、孫も三人。一人でも多く小笠原に住んでほしいが「どこで生きるとしても、島が故郷である誇りを胸に、歩んでくれたら」。

旧日本軍の駆潜艇とみられる船体の周囲を見回るかのように泳ぐシロワニ。サメの一種で、環境省の「海洋生物レッドリスト」で絶滅危惧種に指定されている=父島・二見港で

写真

 紺碧(こんぺき)の海に潜ると、船影がぼんやり浮かび上がった。甲板には、上を向いた高射砲。貝や藻に覆い尽くされ、長い時間の経過を感じさせる。

 父島・二見港の水深約三〇メートルの海底。終戦前年の一九四四年に、米軍機の爆撃で沈没した旧日本軍の駆潜艇とみられる。

 激戦地となった硫黄島をはじめ、小笠原は重要な軍事拠点として要塞(ようさい)化された。今も至る所に戦争の跡が残る。

浜辺でフラダンスを練習する女の子たち。世代を問わず親しまれ、踊り手は300人を超える=父島で

写真

 砂浜では女の子たちが元気にフラダンスの練習に励み、防波堤では男の子たちが釣りざおや水中眼鏡を手に走り回っていた。離島というと超高齢社会や過疎のイメージが強いが、二〇一五年の国勢調査によれば、小笠原村の人口に占める六十五歳以上の割合(高齢化率)は約13%。全国平均の27%を大きく下回る、日本一の「若い自治体」だ。

 小笠原には戦時中、七千人以上が暮らしていたが、ほとんどが本土へ強制疎開させられ、返還後に帰った島民も少なかった。現在の人口は約二千六百人。最近、亜熱帯の温暖な気候や開放的な雰囲気にひかれ、移住してくる若年層が目立つ。

<小笠原諸島> 東京湾から約1000キロ南の太平洋上に散在する約30の島々の総称。海底火山の噴火やサンゴ礁の隆起で生まれ、大陸とつながったことのない「海洋島」である。独特な生態系を保ち「東洋のガラパゴス」とも呼ばれる。

写真
 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報