東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 首都圏 > 記事一覧 > 3月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【首都圏】

田谷力三ら輩出、伝説「赤坂オペラ」再び あす「101年目の復活祭」 

ローヤル館で上演されたオペラの公演風景。右端は田谷力三、中央は原信子=1917年6月撮影、台東区立下町風俗資料館所蔵

写真

 大正時代、東京・赤坂にオペラ劇場があった。イタリア人が主宰し、田谷力三ら日本オペラ界の先駆けとなるスターを生んだ「ローヤル館」だ。知る人も少なくなった歴史を語り継いでいこうと4月1日、「赤坂オペラ101年目の復活祭」が開かれる。 (加藤行平)

 「戦前までの赤坂は、皇族、公家の屋敷と料亭が集まり、『粋』『雅(みやび)』『ハイカラ』が共存していた。オペラを通じてそんな姿を少しでも知ってもらいたい」

 復活祭の発起人の一人で、赤坂育ちの郷土史研究家藤田薫さん(63)は言う。二〇〇四年ごろから、地元の高齢者に、昔の町の姿について聞き取り調査していた。そこで「赤坂オペラ」の存在に行き当たった。

 ローヤル館は、現在の赤坂見附交差点付近にあった。帝国劇場の舞台指導者に招かれたイタリア人、ジョヴァンニ・ヴィットーリオ・ローシーが映画館「萬歳館(ばんざいかん)」を買い取り、日本初のオペラ劇場とした。初公演は一九一六(大正五)年十月。興業はふるわなかった。劇団員への給料の支払いが滞りがちになったこともある。一八年二月の公演を最後に閉館。ローシーは失意のうちに日本を去った。

 オペラの文化は、都心から離れた歓楽街で花開いた。赤坂の劇団メンバーだった原信子、田谷力三らが出演する「浅草オペラ」だ。二三年の関東大震災で壊滅的な被害を受けるまで、東京の娯楽の殿堂として一大ブームを巻き起こす。ローヤル館は再び、映画館となる。「帝国館」と名を変えて営業を継続していたが、太平洋戦争末期の空襲で焼失。往時の面影を残すものは何もなくなった。

 復活祭では、赤坂ゆかりの人たちが舞台に上がる。バリトンの元銀行マン川上敦さん(63)は幼稚園から中学校まで赤坂で過ごした。「町が昔を取り戻す、いいきっかけになる」と言う。テノールの工藤将(まさる)さん(45)は、赤坂氷川神社で活動する赤坂氷川混声合唱団を指導している。「埋もれた歴史の復活につながる。使命を感じる」と力説した。

 復活祭は、「蝶々夫人」を予定する今秋の本格公演のプレイベントに位置づけ、ローヤル館で上演された名曲などを披露する。午後四〜六時、赤坂区民センター区民ホール(港区赤坂四)。当日券あり。港区在住・在勤・在学者二千円、区外者二千五百円。問い合わせは事務局=電03(3470)7066=ヘ。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報