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【首都圏】

「ビュールレ展」の源流(上) 印象派との出会い転機

名画に囲まれるビュールレの写真について説明するルーカス・グルーア館長=スイス・チューリヒで

写真

 東京・六本木の国立新美術館で開催中の「至上の印象派展 ビュールレ・コレクション」(東京新聞など主催、5月7日まで)で並ぶ西洋絵画の名品は、スイスの実業家エミール・ビュールレ(1890〜1956年)が一代で収集した。有数の個人コレクションはどのように築き上げられたのか。源流を取材した。 (森本智之)

 一枚の写真がある。セザンヌやゴッホらの名画に埋め尽くされた部屋で、一人たたずむ男性。ビュールレだ。「孤独を好む人。あまり社交的ではなく、つかの間、一人で絵を眺めるのが好きだった、と聞いています」。孫のクリスチャンさんは話す。

 ドイツに生まれたビュールレは大学で哲学や美術史を学んだ。一九一三年、ベルリンのナショナル・ギャラリーで印象派の作品と出会ったことが人生の転機になった。

 銀行家の娘と結婚してスイス・チューリヒに移住。実業家として成功を収めた時に頭に浮かんだのが、あの印象派の名画群だった。永世中立国のスイスで、戦乱の欧州を逃れるように優れた美術品が集まっていた。コレクションを所有する財団のルーカス・グルーア館長は「ドガ、モネ、ピサロ、シスレー、セザンヌ、ゴーギャン…。当時既に名声を得ていた巨匠の作品を系統立てて計画的に集めていった」と説明する。

 集めた絵画は自宅に飾っていたがやがて場所が足りなくなり、隣の邸宅を買い取って絵の保管場所として使うようになった。「孤独を好む人」という人物評にふさわしく、研究者やごく親しい友人らを除いて他人を招き入れることはなかったようだ。

 彼が亡くなるのは五六年、六十六歳の時。残された妻と子供たちは莫大(ばくだい)な相続税のために絵を手放す危機に直面する。「どうしてもコレクションを守りたかった」(クリスチャンさん)と、遺族が出した答えが、絵の公開だった。財団を設立して絵の所有権を移し、保管場所だった邸宅を美術館に改修。六〇年にオープンした。こうして、秘蔵の名画の数々は世の中に開かれることになった。

 冒頭の写真は、生前、この邸宅の一室で撮られた。仕事に厳しく、絵画のほかに趣味らしい趣味もなかったというビュールレ。唇をキュッと結び、表情は硬い。名画に囲まれて一人、何を思っていたのだろう。

 

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