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【首都圏】

永さん生涯、6つの視点で迫る「六輔六面体」 大田区の隈元さんが初評伝

永六輔さんの遺影を前に、評伝を手に話す隈元信一さん=東京都台東区の永住亭で

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 東京の下町出身で放送作家、ラジオタレントとして活躍し、二〇一六年七月に亡くなった永六輔さんの評伝「永六輔 時代を旅した言葉の職人」が出版された。生前の多彩な活躍ぶりを六章に分けた「六輔六面体(ろくすけろくめんたい)」として光を当て、八十三年の生涯に貫かれた一筋の道と実像に迫っている。 (野呂法夫)

 四月四日夜。台東区元浅草の最尊寺(さいそんじ)で「永住亭(ながすみてい)」が催され、七十人近い観客から笑い声が漏れる。案内文には「肝煎(きもいり) 永六輔」の名があった。永さんが世話役となり、一九八六年から実家の寺で始めた寄席だ。

 「《人は死んだときが死じゃない。生きている人の心の中で生きている限り、生き続けている》と言った永さんの思いを実践しているのです」と、大田区在住の著者でジャーナリストの隈元(くまもと)信一さん(64)は話す。

 没後、地元町内会の青年部が遺志を継ぎ、春と秋の十月の年二回開いている。

 隈元さんは鹿児島県での小学生時代、永さんが台本を書いたNHKのバラエティー番組「夢であいましょう」が楽しみだった。「今月の歌」で発表された故中村八大さん作曲・永さん作詞のヒット曲「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」などを口ずさんだ。

 大学卒業後、朝日新聞に入社。八七年に永さんを初めて取材し、八九年に放送記者となり、連載記事など通して懇意になる。

 永さんは数多く作詞し、自ら歌った。その一つ《生きているということは 誰かに借りをつくること…》を実践し、高校・大学時にコントの才能を認めてくれた作詞・作曲家でNHKラジオ「日曜娯楽版」担当の故三木鶏郎(とりろう)氏らに熱心に「借り」を返していった。

 新聞記者で最も身近にいた隈元さんも、同じく「借り」を返そうと初の評伝に取り組んだ。「多彩な活躍でとらえどころのない人」を「六面体」として「旅の坊主(ぼうず)」「ラジオ屋」「テレビ乞食」「遊芸渡世人」の順で人生をたどる。

 続いて戦時中の疎開体験や六〇年安保から護憲・反戦を終生訴えた「反戦じいさん」、最後はジャーナリストとしての姿を論じた。

 東日本大震災で六百人以上が亡くなった宮城県山元町の臨時災害FM局「りんごラジオ」に、永さんはパーキンソン病を患う身で出演し、被災者を励ました。

 隈元さんは「権力監視や正義のジャーナリズムとはまた別の、被災者や困ったり苦しんだりしている人たちに寄り添い、時に涙を流してその思いを伝える『応援歌のようなジャーナリズムがあっていい』と示してくれました」を語る。

 各章では「六輔六語録」のほか、巻末に永さんの主な著書百冊なども紹介している。平凡社新書。税別八百四十円。

 

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