東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 首都圏 > 記事一覧 > 5月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【首都圏】

<談論誘発>今なら「武蔵野」救える 開発で平地林急減 埼玉の「三富地域」

写真

◆農業ジャーナリスト・中西博之(なかにし・ひろゆき)氏

 『江戸名所図会』は武蔵野についてこう記す。「わづかにその旧跡の残りたりしも、承応より享保に至り、四度まで新田開発ありて耕田林園となり、往古の風光これなし」

 武蔵野は万葉集のころからの武蔵国の歌枕、名所で荒漠たる萱(かや)原として詠まれた。図会はその旧跡も江戸中期にはわずかとなって武蔵野は耕田林園の光景となっていたと描写。新田開発は畑と一緒に林園も造っていた。国木田独歩が『武蔵野』で「今の武蔵野は林である」と楢(なら)類の落葉林に詩趣を見いだすが、そここそ新田村の林園だった。

 そんな「今と昔」の武蔵野の面影が奇跡的に東京西郊の旧武蔵国の入間郡(埼玉県)に現存する。同郡三芳町、所沢市にまたがる三富(さんとめ)新田と隣接の「くぬぎ山」である。

 三富新田は川越藩が元禄九年に武蔵野の原野を新田開発、屋敷・畑・平地林からなる短冊状地割が並列して展開。一戸五町歩ずつ配分、今の全国平均耕地のおよそ三倍。ローム層で地力が乏しく土地の約半分にコナラなどを植林、薪炭、落ち葉堆肥源の確保、防風機能を持たせた。典型的な耕田林園農法で世界に類を見ない「アグロフォレストリー」。伝統的な落ち葉堆肥農法などが二〇一七年日本農業遺産に認定され、露地野菜、川越いもの産地。開発当初の地割を維持しているが、平地林は林地開発で年々減少。

 一方の「くぬぎ山」(百五十二ヘクタール)は両市町と狭山市、川越市の行政界にある大規模な平地林。旧村々の共有入会地だった。土地表示に「狭山市大字上赤坂(元大袋新田分)字下留後武蔵野」と武蔵野の地名も刻む。万葉来の原野−林の自然を保持、歌枕武蔵野の原風景を有す。落ち葉堆肥活用の江戸農法も残る。ここは環境省の自然再生推進法の自然再生対象地だが、昨秋、日本環境ジャーナリストの会の共同取材時、平地林を伐採・抜根、赤土採掘跡に建設残土が埋められた現場に遭遇、その類いの乱開発が数カ所見え平地林は急減していた。

 最後の武蔵野も消失危機にひんしている。埼玉県は〇一年四月に有識者の「三富提言」を受け、両地域等を対象に「みどりの三富地域づくり施策」を決定、推進するが、平地林保全制度創設、自然再生事業、近世開拓史資料館整備など「武蔵野の面影を次世代に」と掲げた主要施策のほとんどが具体化されていない。早急に平地林の実態調査や三富地域施策の検証が必要だ。県知事、関係市町長は最後の武蔵野を直視され、歴史的・文化的景観、平地林保全に救いの手を差し伸べてもらいたい。今なら武蔵野は救える。

 1940年生まれ。埼玉新聞記者を経て、農業、環境問題を執筆。JCJ(日本ジャーナリスト会議)賞受賞。

<武蔵野> 武蔵国(埼玉から東京、神奈川の一部含む)の歌枕で、東京都中西部から埼玉県南西部の武蔵野台地に広がる地域。「行くすえは空もひとつの武蔵野に草の原より出づる月かげ」(新古今集)は有名な古歌。三富新田は畑作地で約1400ヘクタール。同新田、「くぬぎ山」、周辺地域を含め三富地域(5市町・3200ヘクタール)と称され、埼玉県は三富提言(32施策)に沿い5市町と連携、三富地域施策を推進。同地は露地野菜の主産地で落ち葉堆肥利用の循環型農業が知られ、日本農業遺産名は「武蔵野の落ち葉堆肥農法」。首都圏の大規模緑地でもある。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報