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【首都圏】

<少年ライフル乱射事件 53年目の真実> (上)「人を撃つ」…一瞬ためらい

53年前の事件について語る菅原紀雄さん=神奈川県綾瀬市の自宅で

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 「田所はどこにいるんだ…」。神奈川県警大和署地域課の巡査だった当時二十三歳の菅原紀雄は、同県座間町(現座間市)栗原で相棒の巡査(27)が運転するジープ型の車に乗っていた。「子どもが空気銃で遊んでいて危ない」との一一〇番を受け、一人で現場に向かった巡査の田所康雄(21)を応援するためだった。

 高度成長期真っただ中の一九六五年七月二十九日。住宅が広がる今と違い、辺りは雑木林。目印になる看板などはなく、三十分以上も田所を捜し続けていた。

 午前十一時半ごろ、ふと、けもの道に目をやると、百メートルほど先で手を振る男の姿が見えた。警察官のヘルメットをかぶり、傍らにはミニバイク。「田所だ」。車から降り、生い茂る草をかき分けるように進んだ。

 ところがいつしか姿が見えなくなり、目の前に突然、目をつり上げて興奮状態の男が現れた。警察官の制服のズボンに黒いポロシャツ姿。警察官が装備する45口径の拳銃を向け「手を上げろ」と告げた。菅原は悟った。「田所がやられた」

 その後の捜査で、男は十八歳の少年で、警察官をおびき寄せるため自らうその一一〇番をかけたことが判明。自宅から持ち出したライフル銃で田所を射殺し、拳銃を奪っていた。

 相棒の巡査は銃を突き付けられ、耳元に上げた手を小刻みに震わせていた。菅原の背中にも汗が伝った。「このままじゃ二人とも殺される」と思い、こうまくしたてた。「応援の警察官が何人もいる。撃ったら囲まれるぞ」。とっさについたうそに少年はうろたえ、二人を先に歩かせて車を止めた場所へ向かった。周囲を気にする少年に、「隙がある」と感じた菅原は右手を拳銃に伸ばした。

 「パァン」。菅原の動きに気付いた少年は巡査の腹を撃った。「次は自分の番。撃たなければ死ぬ」。引き金にかけた指に力を入れようとした時、ためらいが生じた。「人を撃ったことなんてない」。次の瞬間、右下腹部から背中にかけて激しい痛みが貫いた。後ろに吹き飛ばされながらも一発、撃ち返したが、少年は逃げていった。

 菅原は近くを通り掛かった小学生に支えられながら車まで移動。無線で署に状況を伝えた後、救急車で病院に運ばれた。手術台に乗っても血まみれの腹部は鋭く痛み続けた。「死ぬかもしれないな」。そう考えているうち、麻酔で意識が遠のいていった。 (敬称略、年齢は当時)

菅原さんらが撃たれた現場=1965年7月29日、神奈川県座間町(現座間市)で

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 今から五十三年前、神奈川県で少年が警察官を殺害して拳銃を奪うなどした後、東京・渋谷の銃砲店に立てこもりライフルを乱射する事件があった。警察官が襲撃される事件は後を絶たず、先月には富山市で警察官が男に刺殺され、拳銃を奪われた。神奈川の事件で重傷を負った菅原紀雄さん(76)が「現場の警察官の役に立つなら」と初めて当時の詳細を語った。二回に分けて紹介する。 (加藤豊大)

<菅原紀雄(すがわら・のりお)> 1942年3月、宮城県若柳町(現栗原市)生まれ。高校卒業後の60年4月に神奈川県警の警察官になり、66年に大和署刑事課に配属。暴力団担当など刑事としての勤務が長く、捜査一課長代理や暴力団対策課長などを歴任し、2002年4月に横浜水上署長を最後に退官した。

<少年ライフル乱射事件> 1965年7月29日、神奈川県座間町(現座間市)で、当時18歳の少年がライフル銃で神奈川県警の巡査を射殺。奪った拳銃を使って応援に駆け付けた2人にも発砲し、菅原さんが重傷を負ったほか、もう1人は弾がベルトのバックルに当たり、けがはなかった。少年はその後、東京・渋谷の銃砲店でライフルを乱射して十数人に重軽傷を負わせ、殺人などの容疑で逮捕された。動機について「犯罪小説のようなことがしたかった」などと供述。69年に最高裁で死刑が確定し、72年に執行された。

 

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