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【首都圏】

愛新覚羅浩の激動の生涯に迫る 杉並区で特別展

浩と溥傑の結婚写真=関西学院大学博物館所蔵

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 日中戦争が始まった一九三七年、日本の侯爵・嵯峨家から満州国皇帝の弟に嫁いだ愛新覚羅浩(あいしんかくらひろ)(一九一四〜八七年)が、結婚前の胸の内をつづった手紙が見つかった。日中平和友好条約締結四十周年にあわせ、時代に翻弄(ほんろう)された浩の生涯を紹介する特別展が、東京都杉並区立郷土博物館で開かれている。十二月二日まで。 (渡辺聖子)

 満州事変をきっかけに三二(昭和七)年に中国東北部に建国された満州国。浩は二十三歳の時、皇帝の弟・愛新覚羅溥傑(ふけつ)に嫁いだ。実態は旧日本軍が満州国に影響力を持てるよう仕立てられた政略結婚だった。

 浩の祖父嵯峨公勝(きんかつ)の邸宅は、かつて博物館(杉並区大宮一)の場所にあり、浩は祖父宅から結婚式場に向かった。嵯峨家ゆかりの杉並区は今年一月、浩が親しい友人に宛てた手紙、二十一通を入手。うち三通には、結婚を控えた率直な気持ちがつづられていた。

 結婚が公になる前には、国のために結婚することになり相手は日本人ではないことや、私情を捨てなければならなくなったことなどが書かれ、複雑な心情が読み取れる。公表後は、取材攻勢に遭って家から一歩も出られないことや、決心と覚悟がついたことなどが書かれていた。同館の担当者によると、浩の結婚前のこのような心情は書籍で知られていたが、直筆の書簡で確認されたのは初めて。

結婚写真で浩が着ていた婚礼装束を見る福永こ生さん(右)=東京都杉並区立郷土博物館で

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 結婚の経緯を直接聞いたことはないという浩の次女、福永こ生(せい)さん(78)=兵庫県西宮市=は、手紙を見て「若い女の子が揺れ動く気持ちがよく出ている。感無量」と話した。

 四五年の満州国崩壊後、溥傑は旧ソ連軍に拘束され、浩は福永さんを連れて中国大陸を転々とした。三人が再会を果たしたのは六一年のことだった。この間、日本で暮らしていた長女の慧生(えいせい)が亡くなる悲運にも見舞われた。福永さんは「父と母は日中の文化交流を終生、自分たちの務めと思っていた。二人ともあの世ですが、喜んで感謝していると思う」と話した。

 特別展「愛新覚羅浩展 ラストエンペラーの実弟に嫁いだ日本人女性の愛と苦悩」は、激動の時代を生き抜いた家族の歴史を伝える資料百点が並ぶ。月曜と今月十五日は休館。観覧料百円、中学生以下無料。京王井の頭線永福町駅北口から徒歩十五分。

 

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