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【社会】

「負けずに生きた人の証しを」 ハンセン病の歴史継承進める宮崎駿さん

元患者の佐川修さん(左)、平沢保治さん(右)とハンセン病の歴史を語る宮崎駿さん=東京都港区で(川上智世撮影)

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 全国のハンセン病療養所で入所者の高齢化が進む中、差別に遭いながら強く生きてきた元患者らの証しを残そうとする動きが広がっている。三十一日の「世界ハンセン病の日」を前に、国立療養所多磨全生園(たまぜんしょうえん)(東京都東村山市)と交流のある映画監督の宮崎駿さん(75)がハンセン病の歴史の継承を考えるイベントで講演し、「生きる苦しさと、負けずに生きた人の記念碑をずっと残したい」と保存活動にエールを送った。 (石原真樹、谷岡聖史)

 宮崎さんは二十八日に港区で開かれた「ハンセン病の歴史を語る 人類遺産世界会議」に登壇した。

 全生園の近くに住み、たびたび園や隣接する国立ハンセン病資料館に足を運んできた宮崎さん。園は入所者が育てた三万本の木や納骨堂などの史跡、資料館について、人権を学ぶ場として永久保存を目指す「人権の森構想」を進めており、宮崎さんはその発案者。老朽化した寮舎の再現のために寄付も行ってきた。

 故郷に戻れなかった入所者の遺骨約二千六百五十柱が納められた納骨堂にも繰り返し訪れ、いつしか「両親や友人、恩義がある人のことも合わせて拝む」かけがえのない場所になった。

 初めて訪れたのは二十数年前、代表作「もののけ姫」(一九九七年公開)の構想中に行き詰まり、ノートを手に歩き回るうちにたどり着いた。入所者が植えた桜の巨木の生々しさに圧倒されて、その日は帰宅。後日あらためて資料館を訪問すると、療養所内で使われていた専用通貨などの展示品に衝撃を受けた。

 以来通う度に「おろそかに生きてはいけない。作品をどう作るか正面からきちんとやらなければ」と痛感したという。「無難にせず、『業病(ごうびょう)』と言われたものを患いながらも、ちゃんと生きた人をきちんと描かなくては」と決意し、ハンセン病患者を思わせる人たちを「もののけ姫」に描き込んだ。

 主人公の少年アシタカが受けたのろいのあざもハンセン病から着想を得たと明かし、「あざはコントロールできない力とむしばんでいくもの、両方を持つ。そういう不合理な運命を主人公に与えた。それはハンセン病と同じ」と言及。「反応が怖く覚悟が必要だったが、(元患者の)みなさんが喜んでくれて肩の荷が下りた」と語った。

 宮崎さんの講演は、全生園の入所者で資料館で語り部をする元患者の佐川修さん(84)と平沢保治さん(88)の呼び掛けで実現した。佐川さんらは「ハンセン病患者は、国の強制隔離や社会の偏見で故郷や肉親を奪われながら、強く生きてきた。人権を尊重する大切さを伝えるため、自分たちがいなくなってからもこの場所を残せるように取り組みを進めていきたい」と話している。

<ハンセン病> 細菌の一種、らい菌による感染症。感染力は弱く、国内では現在新規の患者はほとんどいない。国は1907年に「らい予防法」の前身となる法律を定め、患者を全国の療養所に強制隔離する政策を取った。同法は96年に廃止されたが差別や偏見から社会復帰できない人も多く、元患者(2015年5月1日現在1725人)が全国14カ所の療養所で暮らす。平均年齢は83・9歳(同)。多磨全生園の入所者は今年1月29日現在で195人。

<もののけ姫> タタリ神ののろいをかけられた少年アシタカが、製鉄集落の人間にすみかを奪われた神々と人間との戦いに関わる中で、犬神に育てられた少女サンと出会い、自然と人間の共存を模索する物語。集落の奥で働きながら生きる全身包帯の人たちはハンセン病患者がモデル。

 

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