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【社会】

「災害、必ず復興できる」 雲仙・大火砕流25年、島原で追悼式

雲仙・普賢岳の大火砕流から25年を迎え、追悼碑に献花する長崎県島原市の古川隆三郎市長(手前左)ら=3日午前、島原市で

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 雲仙・普賢岳の大火砕流から二十五年となった三日、被災地の長崎県島原市で追悼式典が開かれ、遺族らが黙とうした。

 島原市主催の式典は五年ぶり。会場の「島原復興アリーナ」内に設けられた祭壇を前に、遺族や消防関係者らが参列した。古川隆三郎市長は式辞で、犠牲者らを「市民の生命や財産を守るため、災害状況の取材や火山活動の研究などのため、職に殉じた」と哀悼。熊本地震にも触れて「災害は必ず復興できる」と述べ、被災地を激励した。

 消防団員だった井上康弘さん=当時(38)=を亡くした息子の康一さん(29)は、遺族を代表してあいさつ。「あの日見た、家族が悲しむ姿は今でも心に残っている。噴火災害の脅威を子どもの世代にも伝え、島原半島の発展に貢献していく」と力を込めた。

 式典に先立ち、追悼碑がある島原市仁田町の公園には、朝から献花台を設置。大火砕流で友人や後輩を亡くした同市議会の永田光臣議長(66)は、白い菊を手向けて「みんなが一生懸命働き、復興できた」と、感慨深げに二十五年間を回想した。地元消防団はアリーナの近くにある殉職者慰霊碑前で、鎮魂や復興を願って放水した。

 大火砕流が発生した時刻の午後四時八分には、島原市内各所で防災サイレンが鳴らされる。市民らは日没後、発生二十五年にちなんで約二千五百本のキャンドルに灯をともし、犠牲者を悼む。

 

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