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【社会】

「舛添都市外交」の成果見えず 得意分野も独断専行で批判

退庁する東京都の舛添要一知事(手前中央)=20日

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 一連の公私混同問題の責任を取り、任期半ばで辞職する東京都の舛添要一知事が、2年4カ月の都政運営で独自色を発揮したのが「都市外交」だ。国際政治学者として名をはせた得意分野だけに、考え方を示した「都市外交基本戦略」を策定する力の入れようだったが、批判は当時からくすぶり、任期中に目に見える成果は残せなかった。 (都政取材班)

 舛添氏は二〇一四年二月の知事就任後、矢継ぎ早に北京、ソウルを都知事として十八年ぶりに訪問。北京では汪洋副首相、ソウルでは朴槿恵(パククネ)大統領と会談した。「外交や安全保障は政府の専管事項だが、都市外交を活発にすることで外交を補完できると感じた」。朴氏が日本の政治家と個別に面会するのは大統領就任後初めて。日中、日韓関係が冷え込む中で「舛添流」の都市外交がスポットライトを浴びた瞬間だった。

 しかし、そんな舛添氏に冷や水を浴びせたのが、都議会最大会派で知事与党の自民党。一四年秋の都議会で、舛添氏に対し「都政の課題が山積する中で、知事の海外出張がそれほど優先順位が高いとは思えない」と苦言を呈した。

 それでも、舛添氏は都市外交にこだわった。その理由は「二〇二〇年東京五輪・パラリンピックを控え、開催都市の知事として世界の都市と仲良くしなければ、大会を成功に導けない」。同年十二月には都市外交基本戦略を発表し、二〇年大会までに姉妹・友好都市を含め三十都市との関係構築を掲げた。ある都幹部は「知事にとっては得意分野だけに周囲の苦言にも耳を貸さずに突っ走った。それが、今回の辞職につながる墓穴を掘ったとしか思えない」と語った。  

 一四年七月の朴氏と交わした「約束事」も、批判を招く一因となった。

 朴氏は会談で、手狭になった韓国人学校の新設に向けた用地確保の協力を要請。舛添氏はそれに応える形で今年三月、新宿区内にある旧都立高校跡地を東京韓国学校(新宿区)に有償貸与する方向で韓国側と協議を始める、と発表した。

 しかし、新宿区が待機児童対策のため、保育施設に活用できないか模索していたことが判明。「どちらを優先するのか」との批判が都に殺到した。

 都によると、韓国人学校に貸与する協議はまだ始まっておらず、その前に舛添氏の辞職が決まった。都の担当者は「新しい知事の判断がなければ、大きな動きはできない」と語った。

◆疑惑は去らず

 東京都の舛添要一知事は知事として最後の登庁となった二十日午後、知事補佐官ら幹部職員九人に見送られ、都庁を公用車で後にした。花束贈呈などのセレモニーはなかった。

 舛添氏は十五日の辞職表明後、記者会見せず、記者団の問い掛けにも一切答えなかった。数々の疑惑への説明責任は果たされないまま、二十一日の辞職当日は登庁予定がないという。今後、期末手当約三百八十一万円、退職金約二千百九十五万円が支払われる。

 都知事の任期途中での辞職は、国政に転じた石原慎太郎氏、医療法人グループから五千万円を受け取った問題で引責辞職した猪瀬直樹氏と三代連続。二〇一四年二月に就任した舛添氏の在任期間は、歴代知事のうち猪瀬氏に次いで二番目に短い。

 

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