東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 3月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

機密の艦名「武蔵」記す書簡 初公開  都内の平和祈念展示資料館

企画展で初公開される戦艦武蔵から出された封筒。差出人が記された裏面(左)が展示される=平和祈念展示資料館所蔵

写真

 世界最大級の戦艦武蔵から出されたことが分かる非常に珍しい書簡が四日から、平和祈念展示資料館(東京都新宿区)の企画展「手紙が語る戦争」で初公開された。武蔵は海軍内でも存在自体が最高機密とされ、艦名も伏せられていた。「封筒に『軍艦武蔵』と書かれていたにもかかわらず、検閲を通った今回の書簡は希少な史料」と同資料館学芸員は話している。

 書簡は一九四三年十月、戦艦武蔵の乗組員の足立寿作さんから、元乗組員の笠原安雄さんに出された。差出人として「軍艦武蔵足立寿作」と記されていた。封筒の宛名の左側には、軍事郵便のスタンプや検閲担当者とみられる印鑑などが押されていた。通常なら機密上、検閲で問題となるが、何らかの理由で検閲を通ったとみられる。

 同資料館の山口隆行学芸員は「武蔵という艦名の起源は明治天皇の発案で、艦名だけでも特別な戦艦と推測されてしまう。本来は『第二号艦』という名称を使うなどして艦名は秘匿されていた。武蔵という艦名が書かれた書簡は非常に珍しい」と話している。

 笠原さんは四三年一〜十月の間、武蔵の乗組員だったが、海軍の砲術専門教育機関「館山海軍砲術学校」に合格し、武蔵の乗務から外れた。書簡は、足立さんが「無事入校を祝す」「君の将来を大いに期待を持ってゐる」などと笠原さんを激励する内容。足立さんはその後、中部方面太平洋艦隊司令部に転属し、四四年七月に北マリアナ諸島のサイパン島で戦死した。

 武蔵は完成後二年余りで沈没したため、関連史料が極めて少ない。書簡は、笠原さんが同資料館の前身の独立行政法人に寄贈した。企画展は四月二十三日まで。

◆艦長夫人が冥福祈り詠んだ 和歌ののれんも展示

 平和祈念展示資料館(東京都新宿区)の企画展「手紙が語る戦争」で四日から初公開の展示品には、戦艦武蔵の猪口敏平(いのぐちとしひら)艦長の妻嘉子さんが夫と長男の冥福を祈って詠んだ和歌<船遠くレイテを望み祈るかな父の御胸に眠れいとし子>が記されたのれんもある。

 猪口艦長は、フィリピン中部のシブヤン海で沈没した武蔵と運命を共にした。その10日後、長男の智さんも同じフィリピンのレイテ島で戦死した。

<戦艦武蔵> 三菱重工業の長崎造船所で1942年8月に完成。戦艦大和の同型の姉妹艦で全長263メートル、口径46センチの主砲を搭載。44年10月24日、フィリピン中部のシブヤン海で、魚雷などの攻撃を受け沈没した。2015年3月、米資産家らの調査チームが、水深約1000メートルの海底から武蔵とみられる船体を発見した。

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】

PR情報