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【社会】

亡き母へ「家族増えたよ」 中越沖地震きょう10年

 十五人が死亡した新潟県中越沖地震は十六日、発生から十年となった。同県柏崎市などで震度6強を観測し、四万四千棟を超える住宅が被災。東京電力柏崎刈羽原発では、屋外変圧器で火災が起き、微量の放射性物質を含む水が海に流出した。

 地震は二〇〇七年七月十六日午前十時十三分に発生。家屋の倒壊などで十五人が死亡し、長野、富山を含む三県で計二千三百四十六人が重軽傷を負った。最大で一万二千人以上が避難を余儀なくされた。

 大きな被害が出た柏崎市では十六日、県や市などの合同追悼式が開かれ、地震発生時刻に合わせて鎮魂の祈りをささげる。建物のほぼ半分が全半壊した「えんま通り商店街」では、被災直後から復興に尽力した地元協議会の解散式が開かれる。

◆柏崎の男性 教訓伝え風化させぬ

 中越沖地震で、震度6強を観測した柏崎市では十四人が死亡した。母親を亡くしたタクシー会社社長の元井春夫さん(62)は、「この十年で家族が増え、にぎやかになった。母には元気にやっているよと伝えたい」と静かに話した。

 二〇〇七年七月十六日午前十時十三分。自宅二階にいた春夫さんは、下から突き上げるような激しい揺れを感じ、一階に駆け降りた。台所近くのいすに座っていた母親の元(はじめ)さん=当時(77)=が倒れ、ガラス製の引き戸が二枚覆いかぶさっていた。「大丈夫か」。呼び掛けながら体を起こすと、頭に傷ができていた。立ち上がった元さんは近所の住民を心配し、外に出て声を掛け続けた。

 異変が起きたのは昼すぎ。自宅に戻り、眠っていた元さんが苦しそうにいびきをかき始めた。救急車で病院に運んだが、その日の夜に亡くなった。くも膜下出血を起こしていたという。

 春夫さんら家族は病院で、ぼうぜんとしたまま夜明けを迎えた。物が散乱した自宅を片付け、ようやく元さんを連れ帰った。「言うべきことをはっきり口にし、時に厳しい母だった」と春夫さんは振り返る。

 地震後、元さんが大切に耕していた田畑は、春夫さんの妻美知子さん(62)が受け継いだ。春夫さんは勤務先のタクシー会社で社長になった。警察学校の学生だった長男道行さん(33)は結婚。警察官として働き、子どもが二人生まれた。春夫さんは亡き母を思い、「かわいがっていた孫に子どもができ、びっくりしているだろう」と話す。

 柏崎市で行われる中越沖地震の追悼式で、春夫さんはほぼ毎年、遺族代表として地震の恐ろしさや復興に向けた胸の内を語り続けてきた。中越沖地震の後も、東日本大震災や熊本地震などの災害で多くの犠牲者が出た。春夫さんは「十年で風化させてはいけない。常に危機意識を持ち、すぐに避難ができるよう備えをしておくべきだ」と力を込めた。

 

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