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【社会】

「羽田でせがまれたコーラ飲ませてよかった」 日航機墜落32年 小6次男しのぶ両親

赤いパーカが掛けられた次男裕史君の墓標を見つめる滝下政則さんと史代さん夫妻=12日午後、群馬県上野村で

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 野球に熱中していた小学6年の次男が日航機墜落事故で亡くなってから32年。東京都大田区の滝下政則さん(77)と史代さん(74)夫妻は、体の衰えを感じながら現場の「御巣鷹(おすたか)の尾根」(群馬県上野村)に登り続けている。「夏になると(次男が)山に戻って待っているから」。12日も墓標への道を一歩ずつ進んだ。 

 三人きょうだいの末っ子だった次男裕史(ひろし)君=当時(11)=は負けず嫌いで目立ちたがり屋。プロ野球巨人のファンで毎晩、政則さんと一緒にバットを振った。身長は一四〇センチに満たなかったが、学校のチームで正捕手の座をつかみ取った。

 一九八五年八月十二日。あの日も試合があり、勝って帰宅すると兵庫の親戚宅に一人で行きたいと訴えた。「度胸があるところを見せたかったのでしょう」と政則さん。急いで航空券を予約した。

 羽田空港のロビーでコーラ飲料をせがまれた。スポーツに炭酸は厳禁と思って飲ませていなかったが、この日ばかりは許した。「おいしいね」と笑顔の裕史君。小さな体にリュックを背負い「行ってきます」と声を弾ませてゲートに向かった。

 事故機に乗せた後悔は消えない。でも政則さんは「あの時に飲ませてあげてよかった」と思う。

 事故後、遺体が見つかった尾根の墓標近くに柱を立て、裕史君が好きな赤いパーカをかけてきた。今は大人用に替え、手向けるジュースも成人したはずの年に缶ビールとつまみにした。政則さんの禁煙に合わせ、たばこは供えるのをやめた。

日航ジャンボ機墜落事故で亡くなった滝下裕史君

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 だが、脳裏に焼き付いているのは十一歳のかわいい次男のまま。生きていればどんな表情をし、どんな家庭を築いているだろうか−。史代さんは「大人になった姿を見てみたいです」とつぶやく。

 御巣鷹の尾根には例年、春と八月十二日、秋の計三回登ってきた。約五年前に政則さんが脳梗塞を患ってからは年二回に。今年はこの日だけだ。

 夫妻はつえを持ち、手すりを頼って少しずつ尾根を歩いた。墓標の前にやって来ると、柱の赤いパーカを新しいものに替え、手を合わせてじっと目を閉じる。「心の中で『来たよ』と話しました」と政則さん。こう語り掛けると、帰る時は息子が一緒にいる気がする。

 だから、回数が減っても慰霊登山をやめるつもりはない。体が続く限り、そばに行きたい。

 

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