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【社会】

「何のための避難か」 新潟市で暮らす避難者「東電が再稼働 許せない」

左から高橋真由美さん、高島詠子さん、菅野正志さん

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 東京電力柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)について、新規制基準への事実上の適合判断が示された二十七日、同じ東電の福島第一原発事故によって福島県郡山市を離れ、新潟市内に家族で暮らす避難者は「再稼働なんてありえない」と口々に話した。 (片山夏子)

 雇用促進住宅に家族と一緒に避難する菅野正志さん(43)は「原発の再稼働だけでも嫌なのに、自分たちを苦しめている東電が、避難してきた新潟で再稼働するなんて許せない」と憤る。

 郡山は空間線量が高い地点もあり、二〇一一年八月に妻と幼い娘二人が先に新潟に移った。週末、家族に会うため、片道百六十キロの往復を繰り返し、心身ともにぼろぼろになった。二年半前に避難先近くで就職し、やっと家族一緒に。だが家計は厳しく、将来の見通しは立たない。「避難計画というが、計画通り本当に逃げられるのか。そもそも事故を起こさないと言っていて福島の事故が起きた。国も東電も、誰も責任を取らないまま再稼働するのか」

 夫と子ども三人で避難中の高島詠子さん(48)は「原発事故で、故郷も、福島で思い描いていた生活もすべて奪われた」と話す。事故後、木造の自宅の放射線量が高いのに驚き、避難を決めた。自宅が大好きだった子どもたちは、避難先になじむのに苦労した。

 暮らす家は柏崎刈羽から約六十キロ。ちょうど福島第一から自宅と同じ距離だ。事故後、もう原発は再稼働しないと思っていたのに次々再稼働をするのをみて、柏崎刈羽の再稼働差し止め訴訟の原告になった。「これでは何のために新潟に避難してきたのか。あれほどの原発事故が起き、事故処理も終わっていないのに、もう原発を動かすのか。再稼働は不安でしかない」

 高橋真由美さん(45)は、3号機が爆発したのを見て、恐怖を覚えた。当時四歳と七歳の子どもたちのことを考え「今できる精いっぱいのことをしよう」と夫婦で話し合い、母子避難をした。慣れぬ環境、新しい仕事…。三年前に夫と一緒に暮らせるようになるが、心身共に疲れがたまり一時パニック障害にも。故郷を離れ、人間関係もバラバラになった。

 「もうあの事故を忘れてしまうのか。私たちがこんな思いをしているのに、再稼働なんてありえない。適合というが、規制委は福島のような事故が100%起きないと本当に言えるのか。起きてしまった事故を学び、二度と起きないようにするのではないのか。自分たちのような思いは誰にもさせたくない」

 

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