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【社会】

噴火3年 悲しみ今も 御嶽山麓に慰霊碑

御嶽山噴火から3年。犠牲者を悼むため建てられ、除幕された慰霊碑(中)=27日、長野県王滝村の松原スポーツ公園で

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 五十八人が死亡、五人が行方不明となった御嶽山(おんたけさん)(長野・岐阜県、三、〇六七メートル)の噴火災害から二十七日で三年となった。麓の長野県王滝村では新たに慰霊碑を建立し、追悼式が行われた。献花台を訪れる人たちは帰らぬ人をしのぶが、今も悲しみが癒えることはない。

 慰霊碑に刻まれた「鎮魂」の文字を揮毫(きごう)した京都・清水寺の森清範貫主らが除幕式に出席。幕が外されると、出席者らは起立して山頂に向かって一礼した。碑の傍らには犠牲者や行方不明者の名前を記した芳名碑、噴火の教訓を伝える銘文碑も置かれた。

 除幕式の後、追悼式では参列者が発生時刻の午前十一時五十二分に合わせて黙とうした。王滝村の瀬戸普村長は「より確実な山の安心、安全に努めていく」とあいさつ。息子を亡くした長野県東御(とうみ)市の荒井寿雄さん(75)は「自己責任でこの災害を語るのは無責任。一人一人がなぜ犠牲になったのか、答えを明確にすることが何よりの供養」と述べた。

 七合目の田の原登山口付近に設置されている献花台前では、午前八時ごろから登山者や犠牲者の友人らが訪れ、山頂に向かって手を合わせる姿があった。

スマホを手に噴火からの3年間を振り返る水野時子さん=愛知県豊田市で

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◆ジイジになったよ…亡き夫へ送信326通

 「天国のパパへ ほんの時折、私や息子達の夢に出てくるあなたは生きていた時と同じ、いつも穏やかでにこやかです」。2014年9月27日の御嶽山噴火で、愛知県豊田市の会社員水野利幸さん=当時(60)=を亡くした妻の時子さん(64)は、事故後も利幸さんに無料通信アプリLINE(ライン)を送り続けた。家族の幸せな報告や問い掛け、寂しさを伝えた「既読」にならないメッセージと写真は、この3年で326通になった。 (小沢慧一)

 「パパ。どうか生きていてください」。発生翌日、時子さんのメッセージに返信はなかった。地元のグループで登った利幸さんは、山頂付近で噴石に当たり死亡した。遺体が見つかったのは数日後。スマートフォンは服のポケットにあった。

 スマホは事故の五カ月前、夫婦で一緒に買い替えた。少しでもつながりを感じるために「メッセージを送り続けよう」と決めた。

 一四年十月、新聞社の取材に応じる前には「今回のことをきちんと残す意味でも大切だよね。見守っていてください」と呼び掛けた。一五年の命日には「そばにいるような気がします。パパは一年前に家に帰ったんだね」と送った。

 時には寂しさも打ち明けた。一六年十一月、岐阜県土岐市の曽木公園の水面に映るモミジの写真を送り「夫婦連れが楽しそうに写真を撮っていたよ。うらやましくてパパのことばかり考えてました」。今年八月には「職場で家族や旦那さんの話になると明るく会話に入り、でも本当は心の中は切ないです」と記した。

噴火から3年を前に、時子さんが夫の利幸さんに送ったラインのメッセージ

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 家族の幸せは真っ先に伝えた。一六年七月、次男の結婚には「パパが生きていたらと思うと涙が止まりません」と報告。今年二月には長男の子どもが誕生し「パパの初孫生まれました!パパもジイジだよ」と喜んだ。七月、次男の妻のおなかのエコー写真を添え「健康体であれば男の子でも女の子でもうれしいな」とつづった。

 今はもう「日記のような感覚」だ。それでも、どこかで心強さを感じているという。

 時子さんは今月十日、登山グループの遺族らとの合同慰霊祭で利幸さんに手紙を宛て、同じ言葉をラインでも送った。

 「事故の記憶は消えないですが、三年で家族に起きた幸せな出来事は、悲しみを乗り越えさせてくれました。これからもメッセージを送ります。寂しく思わず見守ってくださいね」

 

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