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【社会】

声聞く政治家 見極める 郡山から新潟 娘2人と避難の女性

原発事故後、福島県郡山市から娘2人と避難した磯貝潤子さん。先は見えない。「あきらめずに声を上げ続ける」と話す=新潟市内で

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 東京電力柏崎刈羽原発6、7号機(新潟県)が二十七日、原発の新規制基準に事実上の適合と判断された。二十八日には衆議院が解散され、国政選挙に突入する。東電福島第一原発の事故後、福島県郡山市から新潟市に娘二人と避難する磯貝潤子さん(43)は「事故後、国は私たちを守ってくれなかった。どの政治家が国民の声を本当に聞いてくれるのか。きちんと見極めたい」と話した。 (片山夏子)

 柏崎刈羽原発から約六十キロにある新潟市のアパート。磯貝さんは、二十七日朝、いつものように、娘二人に弁当を持たせて高校に送り出した。

 原発事故後、ニュースは常に気になる。朝、家ではテレビはつけっぱなし。日中もスマートフォンで速報をチェック。事故の時、放射能の知識がなかったために娘たちに無用な被ばくをさせてしまったのではないかと思うと、今も苦しくなる。「将来娘たちの健康に影響が出たら…。知らなかったではすまない」

 事故当時、住んでいた郡山市の一軒家は福島第一原発から約六十キロ。娘たちは小学校三年生と四年生で「二時間ぐらいなら外で遊ぶのが適当」と聞き、外でサッカーの練習を続けさせた。だが長女が熱を出したり、鼻血を出したりするように。医師には「放射能とは関係ない」と言われたが、どうしても気になった。

 風の無い日は窓を開けていいのか。洗濯物は一生、部屋の中に干すのか。事故前と同じ生活ができないストレスと先の見えない不安が募った。「親の選択で娘たちに影響が出たら…」と避難を決めた。

 娘二人と、新潟市に移ったのは二〇一二年三月。普通の暮らしができることにほっとした。

 だが、仕事で夫が残った郡山の自宅は、建てて三年余。三十年以上ローンが残っていた。パートを掛け持ちし、貯金を切り崩し、生命保険を解約した。今春からは区域外避難者の住宅手当打ち切りで家賃半分の負担が増えた。

 修学旅行の積立金の口座引き落としができないと、学校からの連絡を娘が持ち帰ることも。「『ごめん』って謝るしかない」。将来福島に帰れるか分からない。自宅を売り、夫は郡山の実家に移ることにした。

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 記者の取材に、事故から六年半がたち、ますます苦しくなる避難生活を語っていた二十七日午前。東京では原子力規制委員会が柏崎刈羽原発の適合に向けた詰めの議論を進めていた。

 「原発事故は終わっていない。再稼働なんて絶対ダメ。動けばまたおびえながら暮らすことになる」

 この日は、「原発ゼロ」を掲げる小池新党の結党会見も行われた。ただ、どこまで本気かは見極めなければと思う。「忘れられ、切り捨てられてしまうと、あきらめたら終わり。選ぶ国民側も成長しなくては。声を上げ続ける」

 

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