東京新聞のニュースサイトです。ナビゲーションリンクをとばして、ページの本文へ移動します。

トップ > 社会 > 紙面から > 10月の記事一覧 > 記事

ここから本文

【社会】

国の責任認定 原発福島訴訟 「元の生活を」決意新た

40年以上前から原発に反対してきた大内秀夫さん。事故後、孫たちが家に遊びに来ることはなくなった=福島県相馬市内で

写真

◆危険訴え40年・大内さん 「子孫のため闘う」

 東京電力福島第一原発事故を巡り、福島地裁が十日の判決で国と東電の責任を認めた訴訟は今後、国側と原告側双方の控訴が予想される。原告の一人で、四十年以上、原発に反対し続けてきた福島県相馬市の大内秀夫さん(81)は「国の責任が認められたのは第一歩だが、被災者救済のためにはまだ道半ば」と決意を新たにする。 (片山夏子)

 判決の日、大内さんは一枚の写真を手に福島地裁の法廷に入った。四十年前から原発反対で一緒に闘ってきた教員仲間の男性。原発事故後、避難先で「故郷に帰りたい」と漏らしていたが、その願いを果たせないまま病気で亡くなった。

 裁判長の判決読み上げで勝ち負けはすぐに分からなかった。法廷の外に出て勝訴に沸き上がる原告の仲間たちの歓声を聞き、実感がわいてきた。「勝ったんだ」。三月の前橋地裁判決に続いて国の責任を認め、賠償の被害救済範囲が広がったのはうれしい。だが、原告の居住地の放射線量を事故前の水準に戻す「原状回復」を認められなかったことが悔しかった。

 原状回復が必要なのは放射線だけではない。原発事故で仕事を失った人もいれば、家族を亡くした人、家族がバラバラになった人もいる。「避難しても地元にとどまっても、みんなそれまでの安心して暮らせる生活や人生を奪われ、苦しんでいる。元の生活を返せというのは切実な願いだ」

 一九六〇年代、福島第一原発の建設が進む中、高校教諭だった大内さんは、同僚や地域の人と専門家を呼び、原発の勉強を重ねた。各地で反対運動が広がったが建設は止まらなかった。七五年には、住民四百四人で国に福島第二原発の設置許可取消を求めて提訴した。係争中にチェルノブイリ事故などが起き、危機感が高まる中で、最高裁まで争ったが敗訴した。

 二〇一一年三月。テレビで福島第一原発の1号機や3号機が爆発するのを見て恐怖を覚えた。「あの時、裁判に勝っていれば。国や東電が少しでも大地震や津波の危険性を訴えた私たちに耳を傾け、対策がとられていれば…」。悔しさと自責の思いが大内さんを襲った。その後、今回の訴訟の原告になった。

 大内さんはこの裁判で最高裁まで闘うことを覚悟している。「国と東電の責任を最後まで認めさせ、二度と原発事故が起きないようにしないと。未来の子孫のためにも、私の人生の大仕事だと思う」

 

この記事を印刷する

東京新聞の購読はこちら 【1週間ためしよみ】 【電子版】 【電子版学割】

PR情報